カムシャフトの棺

他愛ない文学的な、交換日記です。

011.今年の13月に向けて(mee)

 *時が過ぎてしまったせいで、一部、風味が落ちているところがございますが、それもまたひとつの味わい深さだと思って読んで下さると嬉しいです。

 

 

 

お手紙をどうもありがとう。手紙を読むのがなにより好きです。きみの手紙は、いつもとても生暖かく感じます。体温が伝わってきます。読んでいて面白いしね。

 

『何も作らずぼんやり』していた……? そんなことはないでしょうと思うけれど、まあ、自分が、息をする以外にはなにもしていないような気がする、という無気力感、無能感みたいなものには心当たりがあります。わたしもさあ、最近は編集作業とか宣伝の画像作りとかしていたので、あんまり何かを”書いて”はいなくて、すこしうずうずしてきています。とはいえ本をほおっておくわけにもいかないし、暫くはこの紙面に根気強く付き合い続けるつもりです。わたしの唯一の美徳は、じつは根気強さだと思っているので。

 

これは全然きみの話でもわたしの話でもないんだけれど、誰かがずっと先に行ってしまったような気がして、とても寂しくなるようなことがあります。でもそれは誰かがこの場を去ってしまった寂しさではなくて、わたしが一つも進めていないということの寂しさです。でも「進む」ってなんだろう、そもそもわたしは少しだって前進したことがあったんだろうか、とかさ、そういうことを考えていたらだんだん分からなくなっちゃって、ついにとある小説の登場人物の名前に「進」とつけてしまいました。彼に代わりに考えてもらおうかと思って。

 

そうだ! Polarisと一白界談、受け取ってくれてありがとう。Polaris読んでもらえたようで嬉しいです。きみにとって、いわゆる《地雷ジャンル》になるのかもしれませんが、勇気を出して本を開いてくれたこと、とても嬉しく思います。

 

次はね、猟奇殺人と猟奇探偵と、そしてその被害者の話を書こうかと思っていたんだけれど、冬が来てしまったせいで、なんだか暖かい話を書きたくなってしまったので、マルム学院シリーズをすこし進めようかと思っています。クロマノールという子と、アーチピタという子とが、ささやかながら世界に立ち向かう話です。その過程で、『世界』というものそのものが一体なんなのか分からなくなってしまえばいいと思っている。たとえば彼らは圧迫を感じているんだけれど、それが悪意によるものなのか無知によるものなのか分からない。世界には悪意によって起こされる悲劇よりも無為や無意識や無知によって引き起こされる惨事のほうがずっと多いと分かっています。だから例えば、彼らが感じている圧迫はこういう類のものです。誰かが荷詰めをしている。明日旅行に行く少女だ。彼女はどうしてもぬいぐるみを二つトランクに入れたい。一つなら入るけれども、もう一つを入れるとトランクがあふれてしまう。だから彼女はぎゅっぎゅと何度もトランクを押す。小さな身体で上に乗って体重をかける。ぬいぐるみは少女の想いを受け取ったみたいにすぽんと音をたててしぼんで、ちゃんと鞄のなかにおさまってくれる。その、鞄の、下層に、少女のこともぬいぐるみのことも知らずに、存在しているのがこの二人なんだ。抑圧を受けているのがこの二人なんだ。

 

きみは全然嬉しくもないだろうけれど、わたしがこういう友情の話を書けるのは、きみのような友人がいるからこそだ、という気がしています。

 

 

 

そういえば、アドベントカレンダーへのご参加ありがとう。きみと一緒に創作的ななにごとかの取り組みができるということ、とても嬉しいです。昔は動画を作ったりゲームを作ったり、結構一緒に色々したよね。またなにか一緒にできると良いんだけど。

わたしはきみと違ってそんなに多芸なほうでもないから、(絵も描けないし、演劇部に所属するなんて考えられなかったし、動画や音楽やゲームにもなかなか本格的には手を出そうと思えなかったし)、でも、作ることはやっぱり好きです。もうやめてしまおうと思うことばかりだし、実際あと数年以内にはやめると思うんだけれど、まだもう少しだけ小説を書いたりしていようと思います。最近は小説をやめるための準備として、絵も描き始めたしね。なにかを意図的に諦めるというのはそれなりに決断力のいることで、そういう力を自分がまだ持っているということに少し安堵しています。きみは永遠に作り続けていられますように。

 

さて、そういえばDMでもまた依頼させていただきたいと思うんだけれど、マルム学院シリーズの「十人の英雄」(の、うち八人)の設定を考えていただけないでしょうか。世界を救う人たちです。さっきの、ぬいぐるみを二つ入れたいトランクの例えを思い出してみてほしいんだけれど、この十人が、ぬいぐるみの腹を裂き、トランクを開けてしまうんです。世界を真っ暗闇から解放してしまうんです。パンドラの箱みたいに、希望が残っていてくれるといいんだけど、どうかな。世界には希望がたしかにあるけど、かきあつめても一つにならないぐらいに細かい欠片になって散らばっているような気がする。なんておもうのは悲観主義でしょうか。

 

2020年は小説をよく書いた年だった。Polarisと一白界談とアドベントカレンダーのおかげで、とりあえず前進する力というのを身に着けることができました。あと、自分にはたいした物語は書けないんだということも知ることができた。決して誤解しないでください、これは弱音を吐いているのでも、卑屈になっているのでもなくて、自分の成長を喜んでいるんです。ただしい自己認識ができたと思う。最初から傑作を生みだせるわけがないんだと、ようやく分かりました。でも2019年までのわたしは、できうる限りすべての作品を傑作として仕上げてやりたいと思っていました。そういう棘が取れて、小説に対して、もっとやさしく向き合うことができるようになりました。言葉に対して、ただしく真摯に向き合うことができるようになりました。だから、本当に遅くなってしまったんだけど、ここから、今の自分にできる一番うまいやりかたで、一番うまく小説を書きたいと思っています。うまく書く、ってどういうことなんだろう。わたしが、自分自身に納得し続けていられるように、作品の力を高めること。そのゴール感を作品自身とも合意しながら進めていけるように、文字を連ねていくということです。

 

 

この手紙、あんまりうまく書けなかった気がするな。もし紙に書いていたら、いつも通り、投函せずに抽斗の奥にしまって1年後に捨ててしまっただろうけれど、これはブログなのでこのまま公開することにします。手紙を郵便に出すよりも、ウェブに公開するほうが気楽にできるなんて不思議だよね。全世界に見られちゃうのに。

 

 今回の弔いの文章はこれです。

 

 裂けた皮ばかり剥き出しになって、とうてい女性の指には見えなくなってしまった小指を、ひとり、眺めていた。

 痛いというほどではないけどひりつくような、すこしぴりりとした快感を伴う赤い傷口。もう少し、ほんの少しだけでも、このでこぼこになってしまった皮の隙間に爪を立てれば、きっと出血する。

 赤い血液をなんだか見てみたい。でも、お風呂にはいったときいつも後悔するんだよなあ。染みる痛みは水に叱られているようで、みじめでかなしい。

 気を取り直してキーボードに向かってみると、「A」を打つ時にだけじんじんと小指が痛む。当たり前のことだけど、「A」って母音だから、よく出てくるんだよね。そもそも実は、母音のうち三割近くの使用率は「A」が占めてるの。五つしかないたいせつな音に偏りがあるなんてふしぎ。日本語は「い」と「お」、それから「か」「し」「の」が一番よく使われているんだって。だから「か」「お」「り」という私の名前は、このたった三音だけで、この国の言葉の八パーセント以上の表音を占めるの。ひらがなって四十八文字もあるのに、これもふしぎ。

 ああ、指がいたい。「A」ってやっぱりよく使う。「ありがとうございます」とか「ご挨拶させていただきたく」とか、一生で一番打つんじゃないかって思う「お疲れ様です」にも三回出てくるし、あとは「愛」とか。

「かおり、あいしてるって言うとき、あなたは日本語の四分の一を話しているようなものなのよ。『か』と『お』と『て』だけでも、それぞれ三パーセント以上使われてる音なんだもの」

 と私が言ったとき、彼は、感情のなさそうな瞳を少しだけ揺らめかせて、苦笑を意図的に穏やかな顔面に浮かべ、礼儀正しく首を振った。相手を静かに拒絶することしか教えてもらえなかった子供のように見えて、私は彼を哀れむ。

「ねえ、自分の名前に使われている音が、どれぐらい日本で使われているのかって、調べたことないの?」

「ない。そんなの調べる人がいるんだなあ、って感じかな」

「気にならない? お父さんに聞いたことは?」

「気にならないし、聞いたこともない。どうしてそんなことを思いついたの?」

「どうして、って。誰だって思いつくと思ってた」

「他にはどんなことを?」

「そうねたとえば」

 たとえば、世界にはひらがなカタカナ漢字ハングル文字アルファベットにルーン文字と、全て数えたらいくつの文字があるのか。日本のように複数の文字を混合させて文章にできる国はいくつ。漢字と平仮名どちらでも表記できるもののなかで、ちょうど確率が50:50になる単語はあるか。『あ』の左と真ん中にある空白について、どっちを大きく書く人が多いのか。とか?

「考えたことない?」

「ない、ない」

 彼は最初笑いを堪えるように困った顔をしていたけれど、やがて耐え切れないという風にくすくすと声を上げた。私の勝ちだ、と思った。

「ああ、面白い。自分の喋る言葉の音に偏りがあるなんて、考えたこともなかったなあ」

「よく使う音と、あまり使わない音があるの。どの言語でもそうなのよ」

「確かに言われてみれば、発音しやすい音としにくい音があるもんな。で、言ってほしいんだっけ」

「なにを?」

すっかり話の初端を忘れていた私は、首を傾けた。彼はすっかり大人の顔で、音のことなんてひとつも気にせずに、その言葉を口にする。

 

「かおり、あいしてるって」

 

 その言葉が、同時に触れられた小指にひりついて、二年経ったいまでも逃れない。彼に別れを告げられてから、すでに二週間の経ったゴールデンウィークの手前、私の趣味は小指の皮剥きになっていた。

 

 

読んでくれてどうもありがとう。お返事楽しみに、のんびりと、お待ちしております。

 

 

 

010.毒にも薬にもならないけど(尾崎末)

 おお……、お久しぶり……。何か、あの、ごめんね……。初手安定の謝罪……。

 

 謝罪も大事だけど、先ずはこれを先に伝えなければ。

 「Polaris」と「一白界談」頒布おめでとう! 一人三十三話とか正気かよって思ったけど、正気じゃなかったんだね……。でも本当、こんなに書けるのはとても素晴らしい事だし、それをやり遂げた君達には尊敬の念を抱いています。拍手。

 通販開始した時は教えて下さい。買いますので。

 

 君が苦しんだり悩んだりしながら創作をしている間、私は何も作らずぼんやりと過ごしてしまったもんだから、君が誰かと一緒に物作りしているのを見て身の程知らずにも羨ましく思ってしまいました。

 でもいい起爆剤になったと思っています。私も何か小説書いて本作ったり、ゲームを作ったり、色々します。どうか生暖かく見守っていてね……。

 

 

 さて、今年はいつもと違って社会全体が大きな混乱の中にあったように思います。

 思います、なんて他人事の様に言っているけど、実際割と他人事のように感じています。強いて言えばマスクなんてした事ないのに毎日マスクしなきゃいけないからそれだけが面倒だなぁ、という事くらいです。普段からニュースを観ないせいか、いい歳して社会の動きそのものに鈍くなったような気がします。良くないな。

 こんな混乱の中にあって、君が二つもの作品を形にしたというのは本当に本当にすごい事です。

 そこに伝えたい何かがあっても無くても形となってそこに存在する、それだけで誰かが何かを感じ取ってくれるモンだと思っているフシが私にはあるので、そういう物を作り出した君の力強さに圧倒されるばかりです。

 そんな君の存在が近くにあるのは、私にとって羨望や嫉妬を伴って、誇らしく嬉しい気持ちであるのです。本当に、君が友達でいてくれて良かったと心から思えます。

 叶うなら、また君と何かを形にできれば嬉しいです。

 

 

 君はよく私の事を褒めてくれますが、私自身は毒にも薬にもならない人間だと思っています。薬になれないならせめて毒になろうと必死に毒を演じている、実質の無いつまらない人間です。

 だから君が褒めてくれる度に嬉しくなるのですが、自分自身が情けなくもなります。

 それでも、君が褒めてくれた私がもしかしたらどこかに存在していて、頑張ればそういう私になれるかも知れないと思うと、何だか毒でも薬でも無い私に自信を持てる気がするのです。

 

 余り言葉にして君に伝えていない気がするので、君に改めて伝えようと思うけど、私は本当に君の事を好きなんです。

 私、人の悪口を言って平気で貶める様な人として最低な悪癖があるのだけれど、君に対して悪しざまに言ったり思ったりした事が本当に一度だって無いんだ。人の悪口を平気で言う、なんて白状した口で言っても説得力はゼロかも知れないけど……。

 君から見て私は未熟者でイラつく事もあると思うけど、それでも根気強く友達でいてくれる君を本当に尊敬しているし大好きな友人と思っています。

 

 文章に纏まりが無くなったので今回はここで止めるけど、少しでも日頃の感謝が君に伝わりますように。ていうかちゃんと交換日記になってなくてゴメンよ。

 

 

 今回の弔いの文章は、今作ってる乙女ゲーの冒頭です。

 使う予定の文を弔うというのもおかしな話だけど、まあ見逃して欲しいな。

 

 サテ どなたもこなたもご傾聴!


 これより論じますは かつては将軍様のお膝元 今では人のるつぼとなり給うた華の東都(とうと)にて巻き起こる 奇妙奇天烈な物語にて御座います!

 ヤア あちらより来たります赤髪の少女を御覧ください!
 燃え盛る炎のように陽光に煌めく髪の毛を鮮やかな若草色の和布で結い上げ 髪の毛と同じ色をした真っ赤なスカァト 細い体躯に似合わぬ大きな下駄を履いて 極めつけは両の眼(まなこ)で違う色!
 嫌でも目につくその少女は はて 何やら逃亡中の様子 その小柄な体躯に似合わぬ大きな下駄はカラコロと鳴り 猫の首につける鈴が如く 居所を間断なく周囲に知らせているのさえ 気にする暇(いとま)も無いと来た!

 サア 皆の衆! ここからが面白いのだから どうか最後まで耳を離さずしっかとお聞き届けを願う次第!

 

 それではこれより 開劇にて御座います!

 

 いい加減、一つくらいはゲームちゃんと作りたいな……。

009.(mee)

 

ああ、すみません、2019年の記事をひとつでも作っておけばよかったですね。ひとつ前のわたしの記事が「2018年12月26日」のものだから、まるまる1年飛び越えてしまった。

 

2020年は、偶数だし、見栄えもいいし、なにかの区切りみたいな年にできたらいいな、なんて思っていましたが、まるでいまの東京は世界の終わりみたいです。この1週間、いちども家から出ていませんし、直近2~3週間にしても3度ほどしか外出していません。1か月前には花見をしたりしてたのにね。2月にはブタペスト展やハマスホイ展を見に行っていたし、1月頃には、会社で出る展示会に申し込んだりもしていました。夏にはキャンプに行こうね、わたしがメンバーの調整をするからさ、と同窓会で言ったりしてました。

 

 

と、昨今の話題といえばこのことばかりだから、なんとなく近況を書いてしまったけれど、こんな話はこの場ではどうでもいいね。まあでも、3年後、5年後、この記事を読み返すときに、ああ、そうか、2020年の4月はそんな状況だったよなあと、思い返すための手がかりを残せたのではないかと思います。わたしもきみも、311の震災では被災しなかったから、これが初めて触れる「社会的混乱」というやつになるかもしれませんね。きみのところでは、まだそうでもないのかな。

 

 

さいきんのわたしの創作の話でもします。2020年がもう、1/4終わってしまったという事実をまだ受け入れ切れていませんが……いまのところ、「平成ひとケタ展」というアンソロジーに寄稿した作品ひとつ、あと、去年の暮れから書いていた「Polaris」という物語を書き進めています。だいたい4万字弱ぐらいの作品にするつもりです。

 

Polaris」では、久々に、まったくプロットを立てずに自由に物語を書いています。いつもわたしの物語の書き方としては、第1話を(天啓に導かれるようにして)なんとか書いて、その後に続く2話・3話を書きながら、なんとなくこの物語に必要な人々のことを考え出して、その人たちが執り行う儀式みたいな「印象的なシーン」をいくつか書いて、そしてラストを書いて、そこまでしてからようやく、途中のつなぎをどうしようか、と考え始めていきます。

 

Polaris」も、「アルプエルフ」も「朝目覚めると婚約者の王子がいて、しかも酷く嫌われていた件」も、「キス・ディオール」も、全部同じやり方です。そして長編であればあるほど、飛び石みたいに離れたエピソード同士をどう縫い合わせるか、ということの難度があがっていきます。まるで岩と岩とを、やわらかい麻布で縫い合わせようとしているみたいで、つまりは何がしたいのか分からなくなってきて、とちゅうで糸と針を川に投げ捨てすべて消してしまう――というのが、よくある挫折の結末です。

 

Polaris」もまさにその座礁の経過のなかにおりますが、まあ、4万字という微妙にコンパクトなところが相まって、なんとか無理やり引っ付くのでは、という気がしています。途中に亀裂が入っても、多少であれば気にならないような作風であることも影響ししています。

 

話が飛んだように感じるかもしれないけれど……昔はね、書きたいことがたくさんありました。そういうことをきちんと、ちゃあんと書き留めていればよかったんでしょうけれど、そうしなかったので、ぜんぜん思い出せません。いくつかはきみにも、きっと夜にでも、こんなものが書きたいんだって、きっと伝えたり語ったりしたことがあると思います。あのたくさんの晩のうちのひとつでもいいから、いま、耳をすまして聞くことができたらなあ。とよく思います。わたしがいったいなにを考えていたのか、なにを誰に伝えたかったのか、どんな人間になりたかったのか。

 

そういうものをいったん失ってしまってからは、結局のところ「メッセージ」というものにやけに拘泥するようになりました。今思っていることとして、全ては「自分は自分であることから逃れられない」というメッセージに帰結するようにしたい、と思います。ほかならぬわたし自身が「自分であること」を追い求めて、混乱しているくせに、信じ切れていないのに、それでもわたしがこれをメッセージとして選びたいと思うのは、ちょっと愚かなことですね。でも、本心から「自分は自分であることから逃れられない」ということを書きたいと思いますし、よかったらきみにも、わたしが書いたそういう物語を読んでほしいと思っています。

 

前置きが長くなりました。きみの話をしたいのに、自分の話から始めてしまうのはわたしのよくない癖だと思います。

きみの新しい門出となるはずだった2020年の4月が、混乱の渦のなかにあるのは心痛いことですが、でも、なんにせよきみの決断する力強さに変わりはないわけですし、いつもいつも、きみはすごいなあと、そう思います。わたしは、わたしが文章を書いているから、文章のことばかりきみに求めてしまいますが、正直なところわたしはきみが必ずしも「文章」で大成するのかどうかについてはよく分かっていません。ただ、きみの秘める爆発的な力、吸収力、表現力、きらめく思い付きについては心の底から信じています。

文章でも、漫画でも、ツイートでも、エッセイでも、ゲームでも、動画でも、メディアはなんだってかまわないと思うから、どうかきみが、きみのもつそのエネルギーをなにかの形にできますように。そうしたらもうきみの勝ちだと思います。こころから応援しています。

 

 

 

さて。この手紙を書くにあたって、001の最初の書簡を読みなおしました。こんなことが書いてあったよ。

どこを直せばいいんだろうなあ、と思うとき、その時点でたいていすでに失敗していて、名文というのは最初から最後まで、どこを変えてもどこを変えなくても名文なのであり、書いた瞬間に「ちがう」と思う文章は、たぶんどこをどう変質させたところで、少しもよくなるところはない。たとえマシになるような気がしたところで、それは燃えないゴミが燃えるゴミになるようなことで、結局本質が変わるわけではなく、名文が下りてくるまでは、ただ祈って待つしかないんだと思います。きみは書くことについてどう思いますか。

 

2017年のわたしが書いたこの文章に、自分でもう一度回答してみようと思います。

「最初から満点のものでなくては、書く価値がない」。なるほどね。言いたいことは分かる、そう思い込むのはきっと気持ちいいことだと思う。でも、この考えは、ただの努力の放棄であり、自分の力を一切信じないということであり、簡単にいえば甘えているだけです。自分の力を、たとえささやかだとしても信じようとしないのは、ただ世界に迷惑をかけるだけです。

2017年の「きみ」は、文章というものは、おおいなる力に押し出されるみたいにして、一定の速度で、単調に、そして完璧に、変えるべきところがひとつもないように出てくるものだと信じているんでしょう。その気持ちはわかります。自分が書いた文章を、「天啓」だとみなして、そうでないものはすべてゴミだと思うほうが精神的に安全です。でも、実際には、書き直したり推敲したり、順番を変えたりするだけで、ある程度使えるようになる文章もあります。単体ではくだらなくて、きらめいていなくても、「つなぎ」としては必要な一文もあります。

 

それでも「きみ」がそんなふうに思うのは、「文章を思いつく」スピードがたいしたことないからです。また、「きみ」が「文章をタイプする」スピードがたいしたことないからです。そして、「きみ」が文章を推敲したり、考え直したり、もういちど読み直したりするということ、そういう面倒で大切な作業を忌んで、やろうとしないから、その上手い言い訳を考えただけのことです。そう、「きみ」は言葉を使うのにちょっと慣れているせいで、自分の陰鬱や鬱屈を、うまく言葉に変換して覆い隠そうとすることがある。意図的ならかまわないけど、自分をあまり騙しすぎないように。

と、2017年の自分に対して回答しておきます。

 

 

 

ああ、そうだ、なにかの文章の葬式をするんだった。今回弔うのはこれです。お互いの文章で、気に入ったのがあったら交換しあってなにかを書いたりし合えるといいね。きみの才能が好きです。

 

「追いかけてくるみたいね」

 メーリアは空を見上げ、唐突にそう呟いた。旅路の最後の日の夜のことだ。

「月のことよ」

 満月が空に浮かぶ。風にあおられた砂が吹き上がり視界を遮ってはいるが、遥か遠く、そこには確かにまん丸の月がある。

「分からないかしら」

 メーリアは視線を月に向けたまま、静かにそう呟いた。

 たしかに、追いかけられているように見える。だが月は、誰にでもそう見えるのだ。キャンデたちの一行にだけ、付いて来ているわけではない。

「迎えに来てくれないかな、って思う気持ちのことよ。一度想像したことはない? あなたは男の人だからないかもしれないけど、私はあるわ」

「どんな想像だ」

「もう二度と帰ってこられない道を進むとき、赤い薔薇を持って、王子様が引き止めにくるの。とびっきりの礼装で、私に膝をついて、息を切らせ、待たせてごめん愛してる、死ぬまで一緒にいましょうねって言うのよ」

 ちょうど満月の下でね、と、メーリアは言った。

「そうか、ないな」

 会話したいわけではないことはすぐに分かったから、それ以上は何も言わずに空を見上げておくことにした。ふいに、彼女が泣いているような気がしたが、確かめることは出来なかった。

 好きな男がいたのだろう、という程度のことは察せた。とはいえ、泣く泣く嫁ぐことになったわけでもない。これまでに聞いたことを総合すれば、メーリアの夫はこれ以上ない好条件で妻を迎えたはずだ。地位も正妻だし、仕事も続けられる。結婚に不満があるのではない。ただ、片思いだったのか両想いだったのか分からないが、その王子様とやらに、未練があるのだ。

 なんとなく、メーリアの想い人は厄介そうな気がした。『赤い薔薇を持って』という妄想が出るあたり、自分に自信があり、地位も名誉もあるような、面倒くさい男に違いない。

 一瞬男爵が脳裏に浮かんだ。そうだ、ああいう、男だろうな、と思った。

「これからも踊るんだろう?」

「高いそうね、観劇料は」

 平地での踊り子の活躍の場は、劇の花添えや祭りの賑やかしなど様々だったが、総じて、軽々しく見れるような値段ではなかった。

「もう誰も、自分の家の庭でささやかに咲かせた花を、摘んで持ってきてくれる人はいないわ。きっと、あなたが売るような素敵な花束が楽屋に運ばれてくるのね。そうだ、赤い薔薇の育つ平地では、白も黄色もさまざまな花があると聞くけれど、でも白百合と赤薔薇の花束なんて、アンバランスなものはないんでしょう?」

 自分が失ったものを語るような口調でそう言って、メーリアは踊るようにステップを踏んだ。いや、これはもう、踊りだ。彼女が細い足を踊らせ、手をゆっくりと振り上げて全身を揺らせば、たとえ型に沿っていなくとも、音楽がなくとも、「踊り子」がそこに完成しきっている。

「俺が見に行くことがあったら届けよう。仕事柄、花は手に入りやすい」

 メーリアは嬉しそうに微笑んで、そうね、と答えた。

 

 

またいつか手紙を書きます。

 

mee

007.(mee)

 

きみにあてた手紙のなかでは、直筆のものであろうとUTF-8に準拠した2バイトずつの文字列型であろうと、そのどちらでもそれなりに悪くない文章を書けていると思っている。

 

と、勝手に思っていられるのは、基本的には他人にあてた手紙を読み返すことがないからだよね。なんとなくいいものが書けた、と思わないと発送しないし、発送したあとは読み返す機会もとくにない。最高得点のまま記憶を結晶化できる。手紙って不思議だよね。たいていの文章はね、きっと最後に読むのは自分自身だと思うんだ。レポートだって、付箋に書きつけたタスクメモだって、わたしが書いている小説だって、きっと最後に読み返すのはわたし自身だと思う。それはこれらがわたし以外の人間に読まれることをそれほど想定していないからだ。レポートや報告文書は、多少他人が読むこともあるだろうけれど、やっぱり一読程度であって、何度も読み込んだり、後々必要になって読み返したりするのは、まぎれもなく自分自身でしょう。

 

 

とはいえ、なにが愛されるか、なにが”繰り返されるのか”、ということに関してはやっぱりみんなあるていど素人だと思う。素人、という言い方は正しくないのかな。なんどやっても学習し得ない、というべきかもしれない。そういうものをさす、カタカナの難しい単語がありそうだね。

 

わたしは特に、いろんなタイプの文章をあっちこっちで書くような人間だから、いい文章が書けたとしても、そしてそれを気に入ってくれた人がいたとしても、すぐにその続きを書けなかったりしていて、とても勿体ないことをしていると思う。もう少しスピード感があって、しなやかでまっすぐで推進力のある人間になりたかった。

 

 

2016年あたりはたしか痛々しい文章を書いていたんだ。女性が恋に悩んで狂うような話だよ。それが書きたかったし、それを読んでくれるひともいたし、それに意味があると信じていた。2017年はそうやっていままでに書いたものたちをまとめて公開する一年で、それなりに自信がついたこともあったし、反対にこころのなかでプルーンをひとつずつ潰していくみたいな気持ちになったこともあった。でも有意義だった。2018年は、これといった思い出がなくて、それが一番悲しいかもしれないな。

 

こないだの文学フリマで、ちょうどきみが離席していたときだけれども、とある人がわたしの小説を手に取って、こう言ったんだ。「考えがあることは分かるけれども、もうすこし整理しないと受け止める人はたいへんだ。なにを書きたいのかを決めてもうすこし整理しないと」というようなこと。最初はそのひとの目をあんまり信じていなくてね、でも少し話をしたあとで、そしてそのあと数日をかけて、その言葉がわたしの奥深くのほうにまで根を届かせて、ひょっとしたら永遠にひどい間違いをしていたんじゃないかと、そんなふうに思った。冷たい直観というよりも、生ぬるい湯たんぽがようやく熱を届かせたような速度と温度だった。

 

以前にも似たような経験をしたことがある。ちょうどmement/moriという小説を書いたときだけれども、いろんな人から、こんなものを書いてはいけないというコメントをたくさんいただいて(いま読むと、そんなふうに言われるほどの内容がある小説には一切見えないんだけど)、若いわたしはそれにしっかり反論をしたんだけど、でもとある時点でふと我にかえるみたいに――というか、いまでもどっちが「我」なのか分からないけれど、ともかく正気にもどるみたいにして、ひょっとしてわたしがすべて間違っているんじゃないか、と思ったんだな。

 

そのときとまったく同じような感覚で……わたしは自分の文章にたいしていっさい自信を失った。といってもこれは全然珍しいことでもなんでもなくて(知ってるよね)、むしろ日常的な失力なんだけれども、ただ、他人の直接的な言葉からそういうふうな気持ちを喚起させられたということは、それなりにわたしのなかでも印象深い出来事だった。

 

しかし現時点でのわたしの状態をねんのためここに記録しておくならば、いまは、わたしが完全に正しかったと信じられる。読みやすい文章を書くつもりなんてそもそもなかったじゃないか。毒薬を注ぐような小説をもともと求めていたくせに、薬ですらないものを作ろうとしていたくせに、「飲みやすさ」なんて考慮する必要はどこにもなかった。もしあるとしても、毒をオブラートに包んで飲ませるみたいに、序章だけすこし口当たりよくしておけばいいんだ。それはとても得意だし、むしろ序章しか書けないと思うこともある!(いや、プロローグ、書き出し、というものは、どちらかというと奇跡を掴んで書き残すものだと思っているんだけど、そういう流れ星ばかりキャッチしやすい時期がさいきんだったんだ。今は違う)

 

心変わりできたのはたぶん、久々に毒薬のような美しい文章を読んだからだと思う。日本語として綺麗かというとぜんぜんそんなことはないんだけど、フィリップ・K・ディックの「去年を待ちながら」を今、読んでいる。ディックのような小説は返し縫いをするみたいに反復しながら読まないといけないから、電子書籍には向いていないようにも感じるんだけど、でも通勤時間中に自由に使えるのはささやかなスペースと眼球の向きぐらいのものだから、しかたなく携帯電話の小さなモニターで読んでいる。

 

今年読んだ小説もそろそろまとめたいな。いい小説にも出会ったし、それなりの小説にも出会ったし、つまらない小説にも出会ったよ。あと、きみの偶数の記事にも出会えた。どうもありがとう。

 

 

そうだ、あと、自分が書いたような気がしない自分の文章に出会うってのも、なかなかたのしい。

いい人っていうのは、なにかを自分で終わらせることのできる人だ。

これにものすごく共感した。まあ、自分で書いた文章なので、そういうふうにおもうのはある種当然のことなんだけれど。序章じゃなくて、章の最初でもなくて、中盤の、途中の、まさに中間に使えそうな文章だ。

 

 

 

明日、そちらに帰ります。

006.大遅刻(尾崎末)

こんばんは。
いやぁ、遅い時間にごめんなさいね。
やっと久々に、日記を更新しました。

あれから君はどうですか?
まだ「ひどい」達にいじめられていますか?
もしそうならいつでも言ってください。
基本的には話を聞くくらいしか能の無い奴ですが、最悪の場合は借金してでも駆け付けます。そしたらまた、ベランダで毛布にくるまりながらレモンティーでも飲んで話し合いましょう。季節を追う必要などありません。寧ろ季節が私たちを追いかけてきてほしいものです。

さて、こちらの最近は妙なことがよく起こっています。
一番困っているのは絶賛宗教勧誘され中な事ですかね。
あとは些末事ですが、職場の上司に滅茶苦茶イライラしてたりします。
そして文フリの原稿が危ういです。
最悪、またコピ本を配る羽目になりそうです。

色々バタバタしていますが、私はそれなりに元気です。
絵を描いたり、ゲーム作ったり、小説書いたり。
なんだかんだ充実している。

あ! それから誕生日ありがとう!
君がくれた本は仕事の休憩の合間に読んでます。久々の読書なのでリハビリもかねて。
本を読むのは良いね。とても感化されます。
街並みの写真集もお気に入りです。思い出したときにパラりとめくって楽しんでます。
ただ時計の方はごめんね、置き場所が無くて未だに机の上に無造作に置かれています。

さて、余り書くことが無いけれど、今回は私も君に倣って弔いをしようと思います。
文フリに持っていく予定(未定)の物語の一部です。

「別にね、遅く帰ってくることを咎めようとは思っていないけど」
 言いながら左右にわずかに揺れる彼の赤いヤカンである頭の中から、トポンと水が揺れる音がした。注ぎ口からうっすらと湯気を燻らせているあたり、彼が怒っているのは分かった。
「ごめんなさいブラウンさん」
 カーリーは栗色の髪を揺らして謝ってから、肩をすくめて見せる。
「でも朝ごはんには間に合ったのよ、許してよ」
 少し拗ねたようなカーリーの言葉に、ブラウンはやや湯気を濃くしながら首を振った。
「カーリー。僕がいつも言っていることは知っているだろう」
北の湖には近付かない」
「それじゃない」
「畑のマンドラゴラは勝手に抜かない」
「そっちでもない」
「……ブラウンさんが寝るのより遅く帰らない」
「そうそれだ」
 ブラウンがカーリーの額に、白手袋で包まれた人差し指を突き立てる。ブラウンの頭の中の水がタポンと揺れる音が聞こえた。
「いいかい、カーリー。一緒に暮らす時の条件は、僕の言いつけを守ることの筈だろう」
「守ってるわ」
「遅く帰らないこと以外はね」
 カーリーの額を軽く指で弾いてから、ブラウンはかがめていた腰をあげて肩を落とす。その仕草がため息をつくのと同じ意味を持つことをカーリーは知っている。
「それで? 今度は一体なんのモンスターを追っていたんだい」
 どこか諦めたような口調でかけられたブラウンの問いに、カーリーはパッと顔を輝かせた。
「そうなのブラウンさん! ちょっと待ってて!」
 そう言ってカーリーは部屋を飛び出すと、すぐに慌ただしく戻ってきた。
 その手には色鮮やかな花をその体に生やした若草色の兎を二頭、抱え持っている。
「おや、ハナウサギだね。もうそんな時期なのか」
「でしょでしょ! 美味しそうでしょう!」
「……可愛いでない辺り、流石狩猟民族というか。まあいいさ、それじゃあ今日のお昼はハナウサギを使おう」
「やった! 手伝うわ!」
 ハナウサギを受け取り歩き出したブラウンの後を、カーリーも追う。食事を作るのはいつも二人で。それが彼らの取り決め事の一つであった。

 
文フリ頑張ろうね。

005.(mee)

きみの分の番号をあけて――つまり004のこと――わたしはきみに、また一方的に、手紙を書きたいと思う。どうしてかきみにあてた文章だと思うと、こんな日にも多少は指が動くのです。文章を書けるような気持ちになったりもする。

 

そうだな、もしきみが、会おうといえば1時間で会えるような距離にいたとするだろ、そういう場合にわたしがきみに話していたであろうことを、代わりにこの手紙で伝えられればと思う。朝日を浴びながら毛布にくるまって話をしたり、酒ではなくてレモンティーをあおり飲んでつまみはスナック菓子だったりしたあのころの、わたしたちのくだらなくて大切な会話のことだ。またあの夏に帰りたくなってきた。こちらがもう少し寒くなったら、夏の残りを追い求めて、またそちらに向かうかもしれません。

 

さいきんの日常はほんとうにひどい。


まあ、わたしが「ひどい人生だ」とつぶやいていなかった期間などないときみならよくよく知っているだろうとは思うけれど、それにしてもひどい。「ひどい」という気持ちは変化によって喚起される。つまり、昨日よりも状況が変化することで「ひどい」は永遠に続いていく。だるくなまぬるい辛さが継続していくのなら、いつかはそれにも慣れるのかもしれないが、わたしの人生はあいにくそういう風にはなっていない。対処を思いつくと、つぎの「ひどい」がやってくる。待ち行列は見えなかったのに、たぶん、わたしの見えないところで、「ひどい」たちは一直線に並んでいるんだ。

 

さいきんよく、見知らぬ場所に行きたいと思う。わたしのやるべきことは一つもなくて、わたしができることもひとつもなくて、誰もわたしのことを知らず、いっそのこと言葉も通じない、だれもわたしを愛していない世界。たぶん寂しいとは思うけれど、いろいろなことがぐっと楽になるだろう。むかしはベッドのなかの毛布にくるまっているときですら「帰りたい」と思っていたけれど、いまはどちらかというと、故郷でもふるさとでも見慣れた職場でもなんでもないところに行って、情報量のすくない世界で過ごしたい。

 

少しだけ気持ちが上向いて、創作したいという気持ちになってきたので、これから書くことのなかには嘘がはいるかもしれない。

 

毎日、いろんなことに手間がかかる。自分の仕事、同僚の仕事、下請けのフォローや自分で自分の機嫌をとれない人への対処。すぐ泣きそうになるような地雷を、うまく避けて歩かなくてはならない。

 

いい人っていうのは、なにかを自分で終わらせることのできる人だ。つまり有能な人のことなんだ。そんなふうにおもうことがある。

 

今回も弔いをしよう。キス・ディオール第3幕より。

 ……ふと、思いついた。
「すみません、少し考えたんですけど。この相談所、魔術の分析というよりも、『金術練成の改善』とかで開いたほうがいいんじゃないでしょうか?」
「ほう? 君に金術の心得があるとは知らなかったな。それとも興味があるのかい?」
「あ、いえ、心得も、これといった興味もないんですが」
 説明がしづらくて、一度手元のコーヒーカップに目線を落とす。なんと言えばいいだろう?
「その、分析士、っていう言葉自体、あまり世界に伝わってないじゃないですか。だから、もう少し身近なもので例えてあげないと分からないんじゃないかなって。パンが上手く焼けるとか、自分がいつもやっている仕事が少し改善されるとなれば、価値を感じていただけるんじゃないでしょうか」
 ふむ。
 ふむ、ふむ、ふむ。
 と、キス・ディオールは四度、頷いた。
「なるほどね――言いたいことは分かったよ。だがそれならこう書いておけばいいんじゃないのかい?」
 キスは空中に杖を揺らし、光の痕跡で文字を描いた。彼はこういうかっこつけたことが好きだ。
 ――分析士・キス・ディオールの相談所。金術練成の改善から、パンの焼き方、家事効率化までなんでもござれ。
「うーん……いや、これでもいいんですけど、なんとなく、もう『金術練成の改善所』です、と言ってしまったほうがいい気がするんです」
「ほう。何故かね」
「分かりやすいからです」
 そう、分かりやすい。
 分析の持つ力を説明する必要がない。
「……ふむ。あえてここで君に言い訳をするならば……君の言いたいことは、ある程度分かっているつもりだ。しかしね、世界中の人を愛していると言う人から向けられる個別の愛よりも、世界中の誰にも興味はないけれど君だけは好きだと言う人の愛のほうが、信じやすいものだとは思わないかね?」
「どちらも言われたことがありません」
「では、今言おう。僕は世界中の誰にも興味はないけれど――」
「結構です」
 他人の台詞の途中に口を挟むのは信条に反するところもあったけれど、とても続きを聞いていられなかった。
 そうやっていつも女性を口説いているんですか、と聞きたくなったけれど、さすがに意地悪過ぎる。やめよう。
「わかったよ。例えるのはやめて、誠実に話そうか」
 キスは多少くたびれたみたいに、首をすこしだけかたむけて、わらってみせた。大人のようだとストアは思った。
「新しい概念を布教するというのは、もちろん簡単なことじゃないのだよ。それに、金がもらえればなんでもいいというのなら、我々はそれこそ畑を耕していればいいのさ。この国の最大の産業は農業だし、この塩にも干ばつにも侵されない素晴らしい豊かな農地は明らかに我が国の強みだ。――では何故、我々は魔術なんてやっているのかね?」
 ストアは考える。
 こういうとき、全く口を挟まないキスの性質はありがたかった。どれだけゆっくり考えていても、彼は待ってくれる。大人のように。
「団体の志向でいくと……たぶん、国としては強みをいくつか持ちたくて……あと、工房単位で言うならば、ただ、そうしたいからだと思います。僕個人の考えでいいなら、才能があると言われたから、です」
 では、才能があると言われたからといってどうしてそれをやるのだ? と聞かれるような気がして、その答弁を考える。上手く出てこないが、当然だ。これは今、ストアが心底悩んでいる議題に他ならない。
 だが、キスは違う質問をした。
「ああ、そうだ、そうだ。君は正しい。君個人の考えのほうのことだよ。君は才能があると言われたからそうした。ある子は魔術士にただなりたくてそうした。夢のようなものだ――私もそうだ、才能があるといわれて、そして分析士になりたくて、そうした」
「……はい、僕も、最終的にはなりたくてそうしました」
「そうだろう。君たち――いや、あえて、僕たち、と言おうか――僕たち魔術の試問に挑むものは、その門戸を叩くものは、多かれ少なかれ決断したものたちなのだ。それも生まれてから十年そこらでの決断が必要だ。よほど本人に強い意志がなければ誘われない、これこそ魔法の庭だ。我々は夢を、実は抱いている。外の人のほうが、魔術士に強い夢を抱いているからこそ、たまに忘れてしまいそうになるけれど、僕たちは実は夢を持っているのだよ。魔法を操りたい、という馬鹿みたいな夢だ。士業と呼ばれたいだけなら職業は他にもある。お金が欲しいだけなら農地を耕すほうがいい。それでも我々は魔術士を目指す――そうなりたいからだ」
 驚いた。
「だから我々は、魔術の資格を持っている、素養がある、気脈に愛されている、というような資質以前に――そもそも決断する人間なのだよ。我々だけではない、いわゆる工房と呼ばれるようなものに飛び込む人間は皆そうだ。後悔しようのない若さの中で、後悔するはずのない世界に挑む。勿論、時には途中で退陣するものもいるがね。だが、僕の出会った人間は皆こう言うよ――何度あの日に戻っても、必ずまた工房に入る、と」
 キスも、そうなのだろうか。
 彼も、もし何年か前、あの農地に何度戻れても、必ず魔術の門を叩くのか。
 では、ストアはどうだろう?
 あの夏に、何度戻れても、同じ決断をするだろうか。
 ――するだろうな、と思う。
 何度でも、と強い言い方はできないが、少なくとも今、もしあの日に戻っても、ストアは同じことをする。幼い頃から感じていた不思議を両親に告白し、誘われるがままに師匠のもとへ、キスのもとへ、また来る。
 決意というほど強いものでもないが、なんとなくそうするだろう、とは感じた。強い感情ではないにしても、こう思えることは幸せなことだ。僕はいま、自身の歴史に強い納得を抱いているということなのだから。
 自分の人生を変えたいと願う人間は、多く存在する。相談所を始めてから知ったことの一つだ。
「だから、もう一度君に聞こう。金が欲しければ農家に戻ればいい、士業の号が欲しいなら学舎に入ればいい――では君は、どうしていま僕とここにいるのか?」
 しっかり考えて答えを出そうと思うのに、何故かすぐに答えたかった。この質問には、即答したい。
「多分、そうしたいからです」
 即答の割には曖昧な答えだ。
 キスは笑う。
「君らしくないやり方だな、ストア。でも褒めたくならない答弁のほうが、君の本当の気持ちが詰まっているような気がするのはどうしてだろうね」
 キス・ディオールは微笑んで、何故か窓の外を見た。それが彼が時たま取る、話が終わった合図だった。

 

奇数をわたしが使うので、もしも気が向いたら、あいている偶数のほうをお好きに使ってください。

004.けつばん(尾崎末)

これは過去の君にあてた日記です。

君には必要なくなっているかもしれませんが、それならそれで良いのです。

ただ一人、互いに心を分け合える友人が幸せなら。

 

 

さて、君は今どういう気持ちでいるでしょうか。

君への手紙を放り出して久しい私ですが、これでも書こうという気持ちはありました。

嘘じゃないよ。ほんと。

パスワード忘れていただけです。

鍵を見つけられず家の前で途方に暮れる小学生と同じです。

 

話は変わるが、私は君の事を実はよく知らない。

誕生日すら未だにあやふやで、しばらく会わないせいか君の顔も結構朧気です。

たった二年ではありましたが同じ屋根の下にいたというのに薄情なものです。

申し訳ない。

 

私が君の事でわかる事といえば多くない。

創作をしている事。

美しいものを愛している事。

二次元では長髪のキャラを好きになる傾向がある事。

そのキャラが遊佐浩二の声ならなお良い事。

ガネーシャ像(だったか?)を衝動買いした事。

友人を心から慈しみ誕生日を大切にしてくれる事。

時折酷く動揺し戸惑い人生(もしくはそれに類似する何か)について悩む事。

 

君は弱いように見えて強いのに、その実、やはり弱い。

弱いっていうのは体力とかそういう類ではなく、精神や心の事なんだけど。

余りこう、断じる様な論調は良くないし、君を不快にさせてしまう。

もう少し言い方を変えよう。

 

君の心はガラスでできているように見える。

でも実際にはダイヤモンドで出来ていて、滅多な事では傷もつかない。

しかしそのダイヤモンドには、何か所かに穴があいている。

そのあいた穴から見える柔らかい部分を、時々何かが傷つけている。

 

私には君がそんな風に見える。

 

ねえ、もし君が、昨日辛くなかった事が今日辛くなってしまったら思い出して。

 

昨日辛くなかった事はいつも君の心を狙っている。

だから君の心の穴を探してウロウロしている。

やつらはその穴を見つけたらひょいっと入り込んできて、今日辛い事に変わる。

あいつらは狡猾だ。いつだって隙を窺っている。

しかも離れて行ってくれない。

 

だから君が毎日辛い思いをしていて、「ひどい」毎日と思っているのなら、

それはきっと「ひどい」達がずる賢いからだ。

君には何の落ち度もない。

誰が何と言おうと、君は一つも悪くない。

 

あまり良い言葉じゃなくてごめんね。

君がいつも悩んでいるのは、近くで見てきたので重々承知だ。

君は、私を信用して時々心の穴を見せてくれるよね。

本当は私がそれを隠す手伝いができれば良いけれど、それが上手く行かない。

とても歯がゆく思う。

私に優しさが足りないのが原因なのは理解している。

もっと自分の事を考えるように、君の事も考えられたら良いと思っている。

嘘じゃないよ。ほんと。

 

これは過去の君にあてた手紙だけど、未来の君が受け取る事になると思う。

遅くなってごめんね。

とりあえずはけつばん

 

 

P.S.

私は「けつばん」という響きにロマンを感じる。

使われずこっそり仕込まれたデータ。

誰かに解読されるのを待つだけの、いやそもそも解読される事を前提にしていない、

ただそこに「ある」だけの存在。

これはそういうものです。

まあでも願わくば、君がいつか解読してくれることを願います。