きみはいつも違うと言うが、きみに初めて会ったとき、きみは私の行く手をさえぎってとおせんぼした。覚えてる?
わたしは自己紹介はとても好きなほうで、時間さえ与えられれば永遠に話し続けることも書き続けることもできます。採用面接だってわたしの得意なフィールドでしかなく、あれほど自分を強く感じたこともなかった。きみも面接はとても強そうだから、たぶんそういう意味でわたしたちは似ているのでしょう。自己紹介が上手い。だから、というわけではありませんが、きみが初めてわたしの前に現れたときのことを、十年以上経ったいまでも鮮明に覚えている。
突然つむじ風のように現れたきみは、なかなかに破天荒で、そのあともずっとわたしの人生のなかの最も印象的な人でありつづけています。ほんとうは君とこうして便りをかわしたり、たまに贈り物をしあったり、深夜には海に車をはしらせて窓をあけて歌ったり、朝まで、眠りそうになりながらベランダで布団をかぶって話をしたり、そういう昔は当然にしていたことをもう一度したいんだけど、なかなか難しいものですね。大人になると鷹揚に遊べるようにもなりますが、どうしても動きづらくなるのが悲しい。
いろいろと洒落たことを書こうと思っていたんだけど、あまり面白いことが書けそうにないので、きみに文章をひとつ渡します。こうした文章の弔いをする先がなくて最近苦しかったところだった。
人生においてほとんど初めて、わたしには酒が必要だった。結局飲めもしないリキュールをあおり、テキーラをとり、そして結局わたしのこころを満たしたのは、文章であった。これ以上わたしを慰めるものなどありはしなかった。そうしてやがて、ひとりの自殺した男のすべてを知り、ひそやかな優越感をしこんだところで、わたしはそれなりの心持ちになった。つまり、まともに近づいたということである。わたしはふるえる手で書簡をあけた。あければたちまち煙が立ち上り、あるいは手紙が燃えてしまえばよいのにと思ったが、そんなファンタジィは起きなかった。現実はいつも現実である。虚構にはなりえず、また物語でもない。
毎回少しの便りに加えて短文の弔いをさせてください。葬式をするような文章なので、自分なりに満点のものとは言い難いんですが。どこを直せばいいんだろうなあ、と思うとき、その時点でたいていすでに失敗していて、名文というのは最初から最後まで、どこを変えてもどこを変えなくても名文なのであり、書いた瞬間に「ちがう」と思う文章は、たぶんどこをどう変質させたところで、少しもよくなるところはない。たとえマシになるような気がしたところで、それは燃えないゴミが燃えるゴミになるようなことで、結局本質が変わるわけではなく、名文が下りてくるまでは、ただ祈って待つしかないんだと思います。きみは書くことについてどう思いますか。
と、真面目に書いてしまったが、もう少し柔らかいことを喋ってもいいかもしれないな。最近読んだ本とか、好きな人の話とか、仕事の話とか。いつかタヒチの海に行ってとりとめないことを話したいものだけど、まだなかなかかないそうにないので、この場所が青い海の代わりになりますように。
一回目おわり。
mee