カムシャフトの棺

他愛ない文学的な、交換日記です。

009.(mee)

 

ああ、すみません、2019年の記事をひとつでも作っておけばよかったですね。ひとつ前のわたしの記事が「2018年12月26日」のものだから、まるまる1年飛び越えてしまった。

 

2020年は、偶数だし、見栄えもいいし、なにかの区切りみたいな年にできたらいいな、なんて思っていましたが、まるでいまの東京は世界の終わりみたいです。この1週間、いちども家から出ていませんし、直近2~3週間にしても3度ほどしか外出していません。1か月前には花見をしたりしてたのにね。2月にはブタペスト展やハマスホイ展を見に行っていたし、1月頃には、会社で出る展示会に申し込んだりもしていました。夏にはキャンプに行こうね、わたしがメンバーの調整をするからさ、と同窓会で言ったりしてました。

 

 

と、昨今の話題といえばこのことばかりだから、なんとなく近況を書いてしまったけれど、こんな話はこの場ではどうでもいいね。まあでも、3年後、5年後、この記事を読み返すときに、ああ、そうか、2020年の4月はそんな状況だったよなあと、思い返すための手がかりを残せたのではないかと思います。わたしもきみも、311の震災では被災しなかったから、これが初めて触れる「社会的混乱」というやつになるかもしれませんね。きみのところでは、まだそうでもないのかな。

 

 

さいきんのわたしの創作の話でもします。2020年がもう、1/4終わってしまったという事実をまだ受け入れ切れていませんが……いまのところ、「平成ひとケタ展」というアンソロジーに寄稿した作品ひとつ、あと、去年の暮れから書いていた「Polaris」という物語を書き進めています。だいたい4万字弱ぐらいの作品にするつもりです。

 

Polaris」では、久々に、まったくプロットを立てずに自由に物語を書いています。いつもわたしの物語の書き方としては、第1話を(天啓に導かれるようにして)なんとか書いて、その後に続く2話・3話を書きながら、なんとなくこの物語に必要な人々のことを考え出して、その人たちが執り行う儀式みたいな「印象的なシーン」をいくつか書いて、そしてラストを書いて、そこまでしてからようやく、途中のつなぎをどうしようか、と考え始めていきます。

 

Polaris」も、「アルプエルフ」も「朝目覚めると婚約者の王子がいて、しかも酷く嫌われていた件」も、「キス・ディオール」も、全部同じやり方です。そして長編であればあるほど、飛び石みたいに離れたエピソード同士をどう縫い合わせるか、ということの難度があがっていきます。まるで岩と岩とを、やわらかい麻布で縫い合わせようとしているみたいで、つまりは何がしたいのか分からなくなってきて、とちゅうで糸と針を川に投げ捨てすべて消してしまう――というのが、よくある挫折の結末です。

 

Polaris」もまさにその座礁の経過のなかにおりますが、まあ、4万字という微妙にコンパクトなところが相まって、なんとか無理やり引っ付くのでは、という気がしています。途中に亀裂が入っても、多少であれば気にならないような作風であることも影響ししています。

 

話が飛んだように感じるかもしれないけれど……昔はね、書きたいことがたくさんありました。そういうことをきちんと、ちゃあんと書き留めていればよかったんでしょうけれど、そうしなかったので、ぜんぜん思い出せません。いくつかはきみにも、きっと夜にでも、こんなものが書きたいんだって、きっと伝えたり語ったりしたことがあると思います。あのたくさんの晩のうちのひとつでもいいから、いま、耳をすまして聞くことができたらなあ。とよく思います。わたしがいったいなにを考えていたのか、なにを誰に伝えたかったのか、どんな人間になりたかったのか。

 

そういうものをいったん失ってしまってからは、結局のところ「メッセージ」というものにやけに拘泥するようになりました。今思っていることとして、全ては「自分は自分であることから逃れられない」というメッセージに帰結するようにしたい、と思います。ほかならぬわたし自身が「自分であること」を追い求めて、混乱しているくせに、信じ切れていないのに、それでもわたしがこれをメッセージとして選びたいと思うのは、ちょっと愚かなことですね。でも、本心から「自分は自分であることから逃れられない」ということを書きたいと思いますし、よかったらきみにも、わたしが書いたそういう物語を読んでほしいと思っています。

 

前置きが長くなりました。きみの話をしたいのに、自分の話から始めてしまうのはわたしのよくない癖だと思います。

きみの新しい門出となるはずだった2020年の4月が、混乱の渦のなかにあるのは心痛いことですが、でも、なんにせよきみの決断する力強さに変わりはないわけですし、いつもいつも、きみはすごいなあと、そう思います。わたしは、わたしが文章を書いているから、文章のことばかりきみに求めてしまいますが、正直なところわたしはきみが必ずしも「文章」で大成するのかどうかについてはよく分かっていません。ただ、きみの秘める爆発的な力、吸収力、表現力、きらめく思い付きについては心の底から信じています。

文章でも、漫画でも、ツイートでも、エッセイでも、ゲームでも、動画でも、メディアはなんだってかまわないと思うから、どうかきみが、きみのもつそのエネルギーをなにかの形にできますように。そうしたらもうきみの勝ちだと思います。こころから応援しています。

 

 

 

さて。この手紙を書くにあたって、001の最初の書簡を読みなおしました。こんなことが書いてあったよ。

どこを直せばいいんだろうなあ、と思うとき、その時点でたいていすでに失敗していて、名文というのは最初から最後まで、どこを変えてもどこを変えなくても名文なのであり、書いた瞬間に「ちがう」と思う文章は、たぶんどこをどう変質させたところで、少しもよくなるところはない。たとえマシになるような気がしたところで、それは燃えないゴミが燃えるゴミになるようなことで、結局本質が変わるわけではなく、名文が下りてくるまでは、ただ祈って待つしかないんだと思います。きみは書くことについてどう思いますか。

 

2017年のわたしが書いたこの文章に、自分でもう一度回答してみようと思います。

「最初から満点のものでなくては、書く価値がない」。なるほどね。言いたいことは分かる、そう思い込むのはきっと気持ちいいことだと思う。でも、この考えは、ただの努力の放棄であり、自分の力を一切信じないということであり、簡単にいえば甘えているだけです。自分の力を、たとえささやかだとしても信じようとしないのは、ただ世界に迷惑をかけるだけです。

2017年の「きみ」は、文章というものは、おおいなる力に押し出されるみたいにして、一定の速度で、単調に、そして完璧に、変えるべきところがひとつもないように出てくるものだと信じているんでしょう。その気持ちはわかります。自分が書いた文章を、「天啓」だとみなして、そうでないものはすべてゴミだと思うほうが精神的に安全です。でも、実際には、書き直したり推敲したり、順番を変えたりするだけで、ある程度使えるようになる文章もあります。単体ではくだらなくて、きらめいていなくても、「つなぎ」としては必要な一文もあります。

 

それでも「きみ」がそんなふうに思うのは、「文章を思いつく」スピードがたいしたことないからです。また、「きみ」が「文章をタイプする」スピードがたいしたことないからです。そして、「きみ」が文章を推敲したり、考え直したり、もういちど読み直したりするということ、そういう面倒で大切な作業を忌んで、やろうとしないから、その上手い言い訳を考えただけのことです。そう、「きみ」は言葉を使うのにちょっと慣れているせいで、自分の陰鬱や鬱屈を、うまく言葉に変換して覆い隠そうとすることがある。意図的ならかまわないけど、自分をあまり騙しすぎないように。

と、2017年の自分に対して回答しておきます。

 

 

 

ああ、そうだ、なにかの文章の葬式をするんだった。今回弔うのはこれです。お互いの文章で、気に入ったのがあったら交換しあってなにかを書いたりし合えるといいね。きみの才能が好きです。

 

「追いかけてくるみたいね」

 メーリアは空を見上げ、唐突にそう呟いた。旅路の最後の日の夜のことだ。

「月のことよ」

 満月が空に浮かぶ。風にあおられた砂が吹き上がり視界を遮ってはいるが、遥か遠く、そこには確かにまん丸の月がある。

「分からないかしら」

 メーリアは視線を月に向けたまま、静かにそう呟いた。

 たしかに、追いかけられているように見える。だが月は、誰にでもそう見えるのだ。キャンデたちの一行にだけ、付いて来ているわけではない。

「迎えに来てくれないかな、って思う気持ちのことよ。一度想像したことはない? あなたは男の人だからないかもしれないけど、私はあるわ」

「どんな想像だ」

「もう二度と帰ってこられない道を進むとき、赤い薔薇を持って、王子様が引き止めにくるの。とびっきりの礼装で、私に膝をついて、息を切らせ、待たせてごめん愛してる、死ぬまで一緒にいましょうねって言うのよ」

 ちょうど満月の下でね、と、メーリアは言った。

「そうか、ないな」

 会話したいわけではないことはすぐに分かったから、それ以上は何も言わずに空を見上げておくことにした。ふいに、彼女が泣いているような気がしたが、確かめることは出来なかった。

 好きな男がいたのだろう、という程度のことは察せた。とはいえ、泣く泣く嫁ぐことになったわけでもない。これまでに聞いたことを総合すれば、メーリアの夫はこれ以上ない好条件で妻を迎えたはずだ。地位も正妻だし、仕事も続けられる。結婚に不満があるのではない。ただ、片思いだったのか両想いだったのか分からないが、その王子様とやらに、未練があるのだ。

 なんとなく、メーリアの想い人は厄介そうな気がした。『赤い薔薇を持って』という妄想が出るあたり、自分に自信があり、地位も名誉もあるような、面倒くさい男に違いない。

 一瞬男爵が脳裏に浮かんだ。そうだ、ああいう、男だろうな、と思った。

「これからも踊るんだろう?」

「高いそうね、観劇料は」

 平地での踊り子の活躍の場は、劇の花添えや祭りの賑やかしなど様々だったが、総じて、軽々しく見れるような値段ではなかった。

「もう誰も、自分の家の庭でささやかに咲かせた花を、摘んで持ってきてくれる人はいないわ。きっと、あなたが売るような素敵な花束が楽屋に運ばれてくるのね。そうだ、赤い薔薇の育つ平地では、白も黄色もさまざまな花があると聞くけれど、でも白百合と赤薔薇の花束なんて、アンバランスなものはないんでしょう?」

 自分が失ったものを語るような口調でそう言って、メーリアは踊るようにステップを踏んだ。いや、これはもう、踊りだ。彼女が細い足を踊らせ、手をゆっくりと振り上げて全身を揺らせば、たとえ型に沿っていなくとも、音楽がなくとも、「踊り子」がそこに完成しきっている。

「俺が見に行くことがあったら届けよう。仕事柄、花は手に入りやすい」

 メーリアは嬉しそうに微笑んで、そうね、と答えた。

 

 

またいつか手紙を書きます。

 

mee

007.(mee)

 

きみにあてた手紙のなかでは、直筆のものであろうとUTF-8に準拠した2バイトずつの文字列型であろうと、そのどちらでもそれなりに悪くない文章を書けていると思っている。

 

と、勝手に思っていられるのは、基本的には他人にあてた手紙を読み返すことがないからだよね。なんとなくいいものが書けた、と思わないと発送しないし、発送したあとは読み返す機会もとくにない。最高得点のまま記憶を結晶化できる。手紙って不思議だよね。たいていの文章はね、きっと最後に読むのは自分自身だと思うんだ。レポートだって、付箋に書きつけたタスクメモだって、わたしが書いている小説だって、きっと最後に読み返すのはわたし自身だと思う。それはこれらがわたし以外の人間に読まれることをそれほど想定していないからだ。レポートや報告文書は、多少他人が読むこともあるだろうけれど、やっぱり一読程度であって、何度も読み込んだり、後々必要になって読み返したりするのは、まぎれもなく自分自身でしょう。

 

 

とはいえ、なにが愛されるか、なにが”繰り返されるのか”、ということに関してはやっぱりみんなあるていど素人だと思う。素人、という言い方は正しくないのかな。なんどやっても学習し得ない、というべきかもしれない。そういうものをさす、カタカナの難しい単語がありそうだね。

 

わたしは特に、いろんなタイプの文章をあっちこっちで書くような人間だから、いい文章が書けたとしても、そしてそれを気に入ってくれた人がいたとしても、すぐにその続きを書けなかったりしていて、とても勿体ないことをしていると思う。もう少しスピード感があって、しなやかでまっすぐで推進力のある人間になりたかった。

 

 

2016年あたりはたしか痛々しい文章を書いていたんだ。女性が恋に悩んで狂うような話だよ。それが書きたかったし、それを読んでくれるひともいたし、それに意味があると信じていた。2017年はそうやっていままでに書いたものたちをまとめて公開する一年で、それなりに自信がついたこともあったし、反対にこころのなかでプルーンをひとつずつ潰していくみたいな気持ちになったこともあった。でも有意義だった。2018年は、これといった思い出がなくて、それが一番悲しいかもしれないな。

 

こないだの文学フリマで、ちょうどきみが離席していたときだけれども、とある人がわたしの小説を手に取って、こう言ったんだ。「考えがあることは分かるけれども、もうすこし整理しないと受け止める人はたいへんだ。なにを書きたいのかを決めてもうすこし整理しないと」というようなこと。最初はそのひとの目をあんまり信じていなくてね、でも少し話をしたあとで、そしてそのあと数日をかけて、その言葉がわたしの奥深くのほうにまで根を届かせて、ひょっとしたら永遠にひどい間違いをしていたんじゃないかと、そんなふうに思った。冷たい直観というよりも、生ぬるい湯たんぽがようやく熱を届かせたような速度と温度だった。

 

以前にも似たような経験をしたことがある。ちょうどmement/moriという小説を書いたときだけれども、いろんな人から、こんなものを書いてはいけないというコメントをたくさんいただいて(いま読むと、そんなふうに言われるほどの内容がある小説には一切見えないんだけど)、若いわたしはそれにしっかり反論をしたんだけど、でもとある時点でふと我にかえるみたいに――というか、いまでもどっちが「我」なのか分からないけれど、ともかく正気にもどるみたいにして、ひょっとしてわたしがすべて間違っているんじゃないか、と思ったんだな。

 

そのときとまったく同じような感覚で……わたしは自分の文章にたいしていっさい自信を失った。といってもこれは全然珍しいことでもなんでもなくて(知ってるよね)、むしろ日常的な失力なんだけれども、ただ、他人の直接的な言葉からそういうふうな気持ちを喚起させられたということは、それなりにわたしのなかでも印象深い出来事だった。

 

しかし現時点でのわたしの状態をねんのためここに記録しておくならば、いまは、わたしが完全に正しかったと信じられる。読みやすい文章を書くつもりなんてそもそもなかったじゃないか。毒薬を注ぐような小説をもともと求めていたくせに、薬ですらないものを作ろうとしていたくせに、「飲みやすさ」なんて考慮する必要はどこにもなかった。もしあるとしても、毒をオブラートに包んで飲ませるみたいに、序章だけすこし口当たりよくしておけばいいんだ。それはとても得意だし、むしろ序章しか書けないと思うこともある!(いや、プロローグ、書き出し、というものは、どちらかというと奇跡を掴んで書き残すものだと思っているんだけど、そういう流れ星ばかりキャッチしやすい時期がさいきんだったんだ。今は違う)

 

心変わりできたのはたぶん、久々に毒薬のような美しい文章を読んだからだと思う。日本語として綺麗かというとぜんぜんそんなことはないんだけど、フィリップ・K・ディックの「去年を待ちながら」を今、読んでいる。ディックのような小説は返し縫いをするみたいに反復しながら読まないといけないから、電子書籍には向いていないようにも感じるんだけど、でも通勤時間中に自由に使えるのはささやかなスペースと眼球の向きぐらいのものだから、しかたなく携帯電話の小さなモニターで読んでいる。

 

今年読んだ小説もそろそろまとめたいな。いい小説にも出会ったし、それなりの小説にも出会ったし、つまらない小説にも出会ったよ。あと、きみの偶数の記事にも出会えた。どうもありがとう。

 

 

そうだ、あと、自分が書いたような気がしない自分の文章に出会うってのも、なかなかたのしい。

いい人っていうのは、なにかを自分で終わらせることのできる人だ。

これにものすごく共感した。まあ、自分で書いた文章なので、そういうふうにおもうのはある種当然のことなんだけれど。序章じゃなくて、章の最初でもなくて、中盤の、途中の、まさに中間に使えそうな文章だ。

 

 

 

明日、そちらに帰ります。

006.大遅刻(尾崎末)

こんばんは。
いやぁ、遅い時間にごめんなさいね。
やっと久々に、日記を更新しました。

あれから君はどうですか?
まだ「ひどい」達にいじめられていますか?
もしそうならいつでも言ってください。
基本的には話を聞くくらいしか能の無い奴ですが、最悪の場合は借金してでも駆け付けます。そしたらまた、ベランダで毛布にくるまりながらレモンティーでも飲んで話し合いましょう。季節を追う必要などありません。寧ろ季節が私たちを追いかけてきてほしいものです。

さて、こちらの最近は妙なことがよく起こっています。
一番困っているのは絶賛宗教勧誘され中な事ですかね。
あとは些末事ですが、職場の上司に滅茶苦茶イライラしてたりします。
そして文フリの原稿が危ういです。
最悪、またコピ本を配る羽目になりそうです。

色々バタバタしていますが、私はそれなりに元気です。
絵を描いたり、ゲーム作ったり、小説書いたり。
なんだかんだ充実している。

あ! それから誕生日ありがとう!
君がくれた本は仕事の休憩の合間に読んでます。久々の読書なのでリハビリもかねて。
本を読むのは良いね。とても感化されます。
街並みの写真集もお気に入りです。思い出したときにパラりとめくって楽しんでます。
ただ時計の方はごめんね、置き場所が無くて未だに机の上に無造作に置かれています。

さて、余り書くことが無いけれど、今回は私も君に倣って弔いをしようと思います。
文フリに持っていく予定(未定)の物語の一部です。

「別にね、遅く帰ってくることを咎めようとは思っていないけど」
 言いながら左右にわずかに揺れる彼の赤いヤカンである頭の中から、トポンと水が揺れる音がした。注ぎ口からうっすらと湯気を燻らせているあたり、彼が怒っているのは分かった。
「ごめんなさいブラウンさん」
 カーリーは栗色の髪を揺らして謝ってから、肩をすくめて見せる。
「でも朝ごはんには間に合ったのよ、許してよ」
 少し拗ねたようなカーリーの言葉に、ブラウンはやや湯気を濃くしながら首を振った。
「カーリー。僕がいつも言っていることは知っているだろう」
北の湖には近付かない」
「それじゃない」
「畑のマンドラゴラは勝手に抜かない」
「そっちでもない」
「……ブラウンさんが寝るのより遅く帰らない」
「そうそれだ」
 ブラウンがカーリーの額に、白手袋で包まれた人差し指を突き立てる。ブラウンの頭の中の水がタポンと揺れる音が聞こえた。
「いいかい、カーリー。一緒に暮らす時の条件は、僕の言いつけを守ることの筈だろう」
「守ってるわ」
「遅く帰らないこと以外はね」
 カーリーの額を軽く指で弾いてから、ブラウンはかがめていた腰をあげて肩を落とす。その仕草がため息をつくのと同じ意味を持つことをカーリーは知っている。
「それで? 今度は一体なんのモンスターを追っていたんだい」
 どこか諦めたような口調でかけられたブラウンの問いに、カーリーはパッと顔を輝かせた。
「そうなのブラウンさん! ちょっと待ってて!」
 そう言ってカーリーは部屋を飛び出すと、すぐに慌ただしく戻ってきた。
 その手には色鮮やかな花をその体に生やした若草色の兎を二頭、抱え持っている。
「おや、ハナウサギだね。もうそんな時期なのか」
「でしょでしょ! 美味しそうでしょう!」
「……可愛いでない辺り、流石狩猟民族というか。まあいいさ、それじゃあ今日のお昼はハナウサギを使おう」
「やった! 手伝うわ!」
 ハナウサギを受け取り歩き出したブラウンの後を、カーリーも追う。食事を作るのはいつも二人で。それが彼らの取り決め事の一つであった。

 
文フリ頑張ろうね。

005.(mee)

きみの分の番号をあけて――つまり004のこと――わたしはきみに、また一方的に、手紙を書きたいと思う。どうしてかきみにあてた文章だと思うと、こんな日にも多少は指が動くのです。文章を書けるような気持ちになったりもする。

 

そうだな、もしきみが、会おうといえば1時間で会えるような距離にいたとするだろ、そういう場合にわたしがきみに話していたであろうことを、代わりにこの手紙で伝えられればと思う。朝日を浴びながら毛布にくるまって話をしたり、酒ではなくてレモンティーをあおり飲んでつまみはスナック菓子だったりしたあのころの、わたしたちのくだらなくて大切な会話のことだ。またあの夏に帰りたくなってきた。こちらがもう少し寒くなったら、夏の残りを追い求めて、またそちらに向かうかもしれません。

 

さいきんの日常はほんとうにひどい。


まあ、わたしが「ひどい人生だ」とつぶやいていなかった期間などないときみならよくよく知っているだろうとは思うけれど、それにしてもひどい。「ひどい」という気持ちは変化によって喚起される。つまり、昨日よりも状況が変化することで「ひどい」は永遠に続いていく。だるくなまぬるい辛さが継続していくのなら、いつかはそれにも慣れるのかもしれないが、わたしの人生はあいにくそういう風にはなっていない。対処を思いつくと、つぎの「ひどい」がやってくる。待ち行列は見えなかったのに、たぶん、わたしの見えないところで、「ひどい」たちは一直線に並んでいるんだ。

 

さいきんよく、見知らぬ場所に行きたいと思う。わたしのやるべきことは一つもなくて、わたしができることもひとつもなくて、誰もわたしのことを知らず、いっそのこと言葉も通じない、だれもわたしを愛していない世界。たぶん寂しいとは思うけれど、いろいろなことがぐっと楽になるだろう。むかしはベッドのなかの毛布にくるまっているときですら「帰りたい」と思っていたけれど、いまはどちらかというと、故郷でもふるさとでも見慣れた職場でもなんでもないところに行って、情報量のすくない世界で過ごしたい。

 

少しだけ気持ちが上向いて、創作したいという気持ちになってきたので、これから書くことのなかには嘘がはいるかもしれない。

 

毎日、いろんなことに手間がかかる。自分の仕事、同僚の仕事、下請けのフォローや自分で自分の機嫌をとれない人への対処。すぐ泣きそうになるような地雷を、うまく避けて歩かなくてはならない。

 

いい人っていうのは、なにかを自分で終わらせることのできる人だ。つまり有能な人のことなんだ。そんなふうにおもうことがある。

 

今回も弔いをしよう。キス・ディオール第3幕より。

 ……ふと、思いついた。
「すみません、少し考えたんですけど。この相談所、魔術の分析というよりも、『金術練成の改善』とかで開いたほうがいいんじゃないでしょうか?」
「ほう? 君に金術の心得があるとは知らなかったな。それとも興味があるのかい?」
「あ、いえ、心得も、これといった興味もないんですが」
 説明がしづらくて、一度手元のコーヒーカップに目線を落とす。なんと言えばいいだろう?
「その、分析士、っていう言葉自体、あまり世界に伝わってないじゃないですか。だから、もう少し身近なもので例えてあげないと分からないんじゃないかなって。パンが上手く焼けるとか、自分がいつもやっている仕事が少し改善されるとなれば、価値を感じていただけるんじゃないでしょうか」
 ふむ。
 ふむ、ふむ、ふむ。
 と、キス・ディオールは四度、頷いた。
「なるほどね――言いたいことは分かったよ。だがそれならこう書いておけばいいんじゃないのかい?」
 キスは空中に杖を揺らし、光の痕跡で文字を描いた。彼はこういうかっこつけたことが好きだ。
 ――分析士・キス・ディオールの相談所。金術練成の改善から、パンの焼き方、家事効率化までなんでもござれ。
「うーん……いや、これでもいいんですけど、なんとなく、もう『金術練成の改善所』です、と言ってしまったほうがいい気がするんです」
「ほう。何故かね」
「分かりやすいからです」
 そう、分かりやすい。
 分析の持つ力を説明する必要がない。
「……ふむ。あえてここで君に言い訳をするならば……君の言いたいことは、ある程度分かっているつもりだ。しかしね、世界中の人を愛していると言う人から向けられる個別の愛よりも、世界中の誰にも興味はないけれど君だけは好きだと言う人の愛のほうが、信じやすいものだとは思わないかね?」
「どちらも言われたことがありません」
「では、今言おう。僕は世界中の誰にも興味はないけれど――」
「結構です」
 他人の台詞の途中に口を挟むのは信条に反するところもあったけれど、とても続きを聞いていられなかった。
 そうやっていつも女性を口説いているんですか、と聞きたくなったけれど、さすがに意地悪過ぎる。やめよう。
「わかったよ。例えるのはやめて、誠実に話そうか」
 キスは多少くたびれたみたいに、首をすこしだけかたむけて、わらってみせた。大人のようだとストアは思った。
「新しい概念を布教するというのは、もちろん簡単なことじゃないのだよ。それに、金がもらえればなんでもいいというのなら、我々はそれこそ畑を耕していればいいのさ。この国の最大の産業は農業だし、この塩にも干ばつにも侵されない素晴らしい豊かな農地は明らかに我が国の強みだ。――では何故、我々は魔術なんてやっているのかね?」
 ストアは考える。
 こういうとき、全く口を挟まないキスの性質はありがたかった。どれだけゆっくり考えていても、彼は待ってくれる。大人のように。
「団体の志向でいくと……たぶん、国としては強みをいくつか持ちたくて……あと、工房単位で言うならば、ただ、そうしたいからだと思います。僕個人の考えでいいなら、才能があると言われたから、です」
 では、才能があると言われたからといってどうしてそれをやるのだ? と聞かれるような気がして、その答弁を考える。上手く出てこないが、当然だ。これは今、ストアが心底悩んでいる議題に他ならない。
 だが、キスは違う質問をした。
「ああ、そうだ、そうだ。君は正しい。君個人の考えのほうのことだよ。君は才能があると言われたからそうした。ある子は魔術士にただなりたくてそうした。夢のようなものだ――私もそうだ、才能があるといわれて、そして分析士になりたくて、そうした」
「……はい、僕も、最終的にはなりたくてそうしました」
「そうだろう。君たち――いや、あえて、僕たち、と言おうか――僕たち魔術の試問に挑むものは、その門戸を叩くものは、多かれ少なかれ決断したものたちなのだ。それも生まれてから十年そこらでの決断が必要だ。よほど本人に強い意志がなければ誘われない、これこそ魔法の庭だ。我々は夢を、実は抱いている。外の人のほうが、魔術士に強い夢を抱いているからこそ、たまに忘れてしまいそうになるけれど、僕たちは実は夢を持っているのだよ。魔法を操りたい、という馬鹿みたいな夢だ。士業と呼ばれたいだけなら職業は他にもある。お金が欲しいだけなら農地を耕すほうがいい。それでも我々は魔術士を目指す――そうなりたいからだ」
 驚いた。
「だから我々は、魔術の資格を持っている、素養がある、気脈に愛されている、というような資質以前に――そもそも決断する人間なのだよ。我々だけではない、いわゆる工房と呼ばれるようなものに飛び込む人間は皆そうだ。後悔しようのない若さの中で、後悔するはずのない世界に挑む。勿論、時には途中で退陣するものもいるがね。だが、僕の出会った人間は皆こう言うよ――何度あの日に戻っても、必ずまた工房に入る、と」
 キスも、そうなのだろうか。
 彼も、もし何年か前、あの農地に何度戻れても、必ず魔術の門を叩くのか。
 では、ストアはどうだろう?
 あの夏に、何度戻れても、同じ決断をするだろうか。
 ――するだろうな、と思う。
 何度でも、と強い言い方はできないが、少なくとも今、もしあの日に戻っても、ストアは同じことをする。幼い頃から感じていた不思議を両親に告白し、誘われるがままに師匠のもとへ、キスのもとへ、また来る。
 決意というほど強いものでもないが、なんとなくそうするだろう、とは感じた。強い感情ではないにしても、こう思えることは幸せなことだ。僕はいま、自身の歴史に強い納得を抱いているということなのだから。
 自分の人生を変えたいと願う人間は、多く存在する。相談所を始めてから知ったことの一つだ。
「だから、もう一度君に聞こう。金が欲しければ農家に戻ればいい、士業の号が欲しいなら学舎に入ればいい――では君は、どうしていま僕とここにいるのか?」
 しっかり考えて答えを出そうと思うのに、何故かすぐに答えたかった。この質問には、即答したい。
「多分、そうしたいからです」
 即答の割には曖昧な答えだ。
 キスは笑う。
「君らしくないやり方だな、ストア。でも褒めたくならない答弁のほうが、君の本当の気持ちが詰まっているような気がするのはどうしてだろうね」
 キス・ディオールは微笑んで、何故か窓の外を見た。それが彼が時たま取る、話が終わった合図だった。

 

奇数をわたしが使うので、もしも気が向いたら、あいている偶数のほうをお好きに使ってください。

004.けつばん(尾崎末)

これは過去の君にあてた日記です。

君には必要なくなっているかもしれませんが、それならそれで良いのです。

ただ一人、互いに心を分け合える友人が幸せなら。

 

 

さて、君は今どういう気持ちでいるでしょうか。

君への手紙を放り出して久しい私ですが、これでも書こうという気持ちはありました。

嘘じゃないよ。ほんと。

パスワード忘れていただけです。

鍵を見つけられず家の前で途方に暮れる小学生と同じです。

 

話は変わるが、私は君の事を実はよく知らない。

誕生日すら未だにあやふやで、しばらく会わないせいか君の顔も結構朧気です。

たった二年ではありましたが同じ屋根の下にいたというのに薄情なものです。

申し訳ない。

 

私が君の事でわかる事といえば多くない。

創作をしている事。

美しいものを愛している事。

二次元では長髪のキャラを好きになる傾向がある事。

そのキャラが遊佐浩二の声ならなお良い事。

ガネーシャ像(だったか?)を衝動買いした事。

友人を心から慈しみ誕生日を大切にしてくれる事。

時折酷く動揺し戸惑い人生(もしくはそれに類似する何か)について悩む事。

 

君は弱いように見えて強いのに、その実、やはり弱い。

弱いっていうのは体力とかそういう類ではなく、精神や心の事なんだけど。

余りこう、断じる様な論調は良くないし、君を不快にさせてしまう。

もう少し言い方を変えよう。

 

君の心はガラスでできているように見える。

でも実際にはダイヤモンドで出来ていて、滅多な事では傷もつかない。

しかしそのダイヤモンドには、何か所かに穴があいている。

そのあいた穴から見える柔らかい部分を、時々何かが傷つけている。

 

私には君がそんな風に見える。

 

ねえ、もし君が、昨日辛くなかった事が今日辛くなってしまったら思い出して。

 

昨日辛くなかった事はいつも君の心を狙っている。

だから君の心の穴を探してウロウロしている。

やつらはその穴を見つけたらひょいっと入り込んできて、今日辛い事に変わる。

あいつらは狡猾だ。いつだって隙を窺っている。

しかも離れて行ってくれない。

 

だから君が毎日辛い思いをしていて、「ひどい」毎日と思っているのなら、

それはきっと「ひどい」達がずる賢いからだ。

君には何の落ち度もない。

誰が何と言おうと、君は一つも悪くない。

 

あまり良い言葉じゃなくてごめんね。

君がいつも悩んでいるのは、近くで見てきたので重々承知だ。

君は、私を信用して時々心の穴を見せてくれるよね。

本当は私がそれを隠す手伝いができれば良いけれど、それが上手く行かない。

とても歯がゆく思う。

私に優しさが足りないのが原因なのは理解している。

もっと自分の事を考えるように、君の事も考えられたら良いと思っている。

嘘じゃないよ。ほんと。

 

これは過去の君にあてた手紙だけど、未来の君が受け取る事になると思う。

遅くなってごめんね。

とりあえずはけつばん

 

 

P.S.

私は「けつばん」という響きにロマンを感じる。

使われずこっそり仕込まれたデータ。

誰かに解読されるのを待つだけの、いやそもそも解読される事を前提にしていない、

ただそこに「ある」だけの存在。

これはそういうものです。

まあでも願わくば、君がいつか解読してくれることを願います。

003.きみとわたしとの違いについて(mee)

お返しの便りをどうもありがとう。

 

わたしもきみも、お互い明確に人見知りだけれど、その性質はひどく違っているように思う。たとえば病院の診察を待つ間になんとなく会話が始まってしまって、よい続きの質問が思い浮かばずすこし居心地悪げになったとき、視線はなんとなく(直視ではないにしろ)あいまいに相手のほうを向いて薄く笑い、いつでも話しかけてくださってかまいませんがわたしのほうは何も思いつきません、すみません、と空気で喋る卑怯者がわたしだとすると、きみは唐突につらつらと話をしたあとで、電源がおちるようにぷつりと黙って、しかもスマートフォンを取り出してしまう気がする。続けて話す気があったとしても。

 

と、いう書きかたはきみにとってあまりに不躾なようにも思ったんですが、まあ交換日記なので勝手なことを書くのもいいのかな。きみが嫌にならないといいんですが。つまり言いたいのは、『人見知り激しい私が突然見知らぬ人に対して通せんぼとか、天地がひっくり返ってもあり得ない』について、いや、初対面の人に通せんぼ、しそうだけどな、とわたしは思うということです。そもそも二回目の人間に通せんぼできるなら一回目の人間にも通せんぼ可能なように思う。まあしかしこういうふうに自分の内面について勝手に予想されるのはいらいらするものでしょう。誰だって自分はこういう人間だという感覚があります。なので性格を勝手に押し付けることは、友人同士にしかできない無礼な行為であるように思います。(ごめんなさい。)

 

 

あとはそうだな、きみの興味・関心というやつが酷い偏在を持っているのは知っています。きみの自意識にひどく身勝手なところがあることも、利己的なところがあることも。*1 しかし、わたしの知る大抵の人間には身勝手なところと利己的なところがあるよ。きみが特別そうだとは思わない。あまりそういう部分が無いように思う唯一のひとは父親ぐらいだけど、父親だってわたしが自分の子供だからわたしの前では利己的でいなくて済み、そしてもともと多少大儀的なところがあるから娘の目からしたら公益を求めるよい人間に見えるだけで、外から見たらやっぱり利己的で身勝手な人間なのでしょう。たぶん。きみの人格についても、たしかに特別優しい人間だとは思わないが、おもしろい人間だと思うし、のびのびと自由な人だと思うし、少なくともヤなやつではない。人によっては困ったやつではあるかもしれないが、嫌な人間ではとうていないと思う。

 

その証左として、きみの話は、きみのことを知らない人に話してもなかなか評判がいいです。わたしの友人はきみの名前をだいたい知っている、というぐらい、わたしはそれなりにきみの話をしているような気がします。(というか、そもそも私には友人が数えるほどしかいないので、何でも話したくなってしまうからかもしれないけれど。)

 

また、文章についても、面白い考えをありがとう。

わたしはきみと違ってそれなりに文章にこだわっているところがあって、それは文章でないと表現できないものがあると信仰しているからです。話したことがあったのかなかったのか忘れてしまったけれど、わたしには文章でしか感じたことのない感動がある。漫画でも映画でもだめだった、小説でなくてはこれは絶対に表現できなかったはずだ、と思うものがある。中学校の教科書だったかな、「全てを表現しつくせるのは文章だけである」と、映像を扱う監督さんが言った記述があって……細かいことは忘れてしまったけれど。でも、その言葉をずっと覚えている。わたしも同じ気持ちだった。わたしの思想を書くためには、文章しかないと、一神教の教徒のように、考えているところがある。

しかし、「コスパが良い」か。たしかに、文字を打つだけでいいからね。「城」と書けば城が現れて、「草原」と書けば地面が生まれる。まるで創造主になったような気持ちでいられる。言葉を唱えるだけで世界が出来る。たしかに、ひょっとするとこれ以上ないほど簡単なのかもしれない。

 

 

あと、作品のおすすめをありがとう。

ホラーゲームはまったくやらないほうなのですが、きみが薦めてくれたものなので手を出してみようかと思います。ちょっとやってみるけど、最後までできなかったらごめん。しばらくしてもこのゲームへの言及がひとこともなければ、たぶん遊んでいないです。

 

ゲームグッズに十五万! きみのお金の使いかたはいつも豪快ですね。まあ、わたしもけっこう人から「湯水のようにお金を使う人」とみなされているほうなのですが、それにしてもなんというかきみとはやりかたが違う。十五万あれば、タヒチ行けるじゃないか!! という問題ではないけれど、まあ、わたしも一日で十五万以上ふっとばすこともありますが、おたがい節約して、よかったら今度海外旅行にでも行きましょう。あまりスケジュールを決めずに、南の島で、ずっとホテルのなかでダラダラしたりしていたいですね。

 

それと、芸能ニュースには疎くて、タッキー&翼の件知りませんでした。武井咲の結婚ニュースみたいに、なにかしらTwitterで意見が多く流れるような話題ならそれなりにキャッチできるんですが。まあ、芸能ニュースなんて仕事にも創作にも関係ないからな。とおもったけど、きみの仕事だとわりとそういうニュースの種も仕事材料になったりするのかな、と気づきました。さいきん、わたしは自分の世界というものがひどく狭くなっていることを自覚していて、学生時代の友人はほとんどみんなおなじ職についているし、おなじ会社のひとはだいたい同じようなニュースばかりFacebookでシェアするので、いまいち世界が広がりません。おなじ世界をただただひたすらもぐっていく感覚です。つまらないわけではないのだけれど。

 

 

きみの性格についての考え方も、文章についての考え方も、お金の使い方も、なにもかも微妙に違うわたしたちですが、十年ぐらい仲良くやってこられているので、今後もたのしく遊ばせてください。わたしの言葉にいらだつときも、わたしが身勝手にもきみに腹を立てるときも、いろいろあるだろうけれど、すくなくともきみはわたしの人生のなかで重要な登場人物です。欠かせないと思います。

 

 

 

さて、わたしもひとつ君に作品をオススメしよう。

「月と六ペンス」という本なんだけど、とてもよかったです。わたしがタヒチにとつぜん行きたくなったのはすべて、この本のせいです。特にこの青い本の訳がサイコーだったのでぜひ。新潮文庫だよ。タヒチに行くときプレゼントするので、タヒチで読んでください。

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 

 

 

では最後に弔いをひとつ。以前書いたまま、ずっと出せていない、小説の冒頭です。。次はキス・ディオールの第三幕ぐらいから、一部分持ってきます。

 普通に好きにやっていいよという大人が嫌いだった。
 かといって、頭固めに雁字搦めに縛り付けてくる奇人が好きというわけでももちろんない。だが少なくとも「常識の範囲内でやっていいよ」なんて愚かなことをいうやつよりは数段ましだ。一番嫌いなのは、「常識の範囲内で、自由にやれ」と言われることだ。この言葉は恐ろしく強い拘束と、そして命令形で結ばれた語尾には苛烈な窮屈さを感じる。
 果たして普通とは何なのか、常識の範囲とはどこからどこのことなのか、まったく分からない。分かりたいと思ったことはないが、分からなければならなかったんだろうなとは思う。さっさと正解だけ教えてほしいのに、まるで何かすばらしい宝物をあげるとでもいう風に彼らは言うのだ「自由にやれ」と。
 勤労の自由や住居の自由や思想の自由や宗教の自由は、好きだ。愛していると言っていい。彼らのためなら人生を捧げられるかもしれない。でもそれでも、何かしらの行動に対し、それこそすべて自由にやらせておいてほしいことに対し、「さあ、呪縛から解き放たれよ。光あれ。君が好きなことをせよ。もちろん、常識の範囲内で」と気まま勝手に天啓を突きつけるのは、どういうことか。自由にやるのかどうかすら自分で決めたい。時には呪縛を選択するのもそれこそこちらの勝手なのだ。

 ――と、何やかんや理論を頭のなかで捏ね回してみたところで、君が気にした様子はない。

 そもそも、頭のなかで考えただけだから、届いてすらいないだろうけれど。

 

 

 

 参列ありがとう。

 

 

mee

*1:つまり、きみの言う「私はケチな人間だから、自分にとって得に感じることにしか興味を持たないし、大事にしないのです。」ということ

002.タイトルというのは思いつかないものだね(尾崎末)

 実は通せんぼした事自体は覚えているが、私の中ではそれがファーストコンタクトではなく、もう少し前にほんのちょっとだけ話をしたのがファーストコンタクトのつもりだったのよ。
 だって人見知り激しい私が突然見知らぬ人に対して通せんぼとか、天地がひっくり返ってもあり得ないんだもの。

 

 そんな言い訳がましい話から唐突に始まったんだけれど、めーちゃんの日記が美しすぎてどうにも上手い返信が思いつかなかったでござる。
 とは言え、めーちゃんは私の人生の中で大きな影響を与えて貰った数少ない友人の一人であるわけで。
 というか私が誰かに与えたほうが異常に少ない。私はケチな人間だから、自分にとって得に感じることにしか興味を持たないし、大事にしないのです。ヤな奴だね!

 さて、せっかく君が参列を許してくれた葬儀なのだし、弔事を述べさせてもらうこともついでに許してもらおうかと思う。
 ぶっちゃけた話をすると、私には文章の良し悪しは分からないのだ。
 私にとっての文章は「好き」か「好きじゃない」しか無い。
 自分が書く文章に関してもそう。私は自分の分が名文だとは思わないけれど、私は自分の書く文章が好きだ。だから加筆をしたいと思うことはあっても、修正をしたいと思ったことは無い。
 そしてもっと更に言ってしまうと、私は文章そのものに比重は殆ど置いていない。
 私にとって文章というのは、私の中にある物語を伝える手段でしか無いから。
 だから私は文章を洗練させるということはこれまで殆どやってこなかった。
 文章がだめなら絵がある、動画がある、ゲームがある、とにかく手段は沢山あるのだから、文章にこだわる必要が実は無かった。
 じゃあ何で文章書くの? って話になると、「コスパが良い」という答えになる。
 最小限の労力で結果を得たい怠惰な私には文章という媒体は、まさに夢のようなツールなわけです。
 そんな私が、君と共に文章というものに対して語り合う場に立って良いものかどうか迷うところではあるけれど、これだけは言わせてください。
 私は君の書く文章が非常に、非常に大好きです。
 君が先の日記で読ませてくれた文章。私にはランプの光に照らされた書斎の赤いビロード張りの椅子で、パイプくゆらせた男性が独白している様子が浮かびました。
 君の文章はいつも私の中の想像力に呼びかけてくれる。そこがとても好きだ。
 これが君の求める文章とは? への返答になっていれば良いのだがね。

 

 そうそう、ついでだから今私が恐ろしくハマっているものを君にもシェアしておこうと思う。

 「Five Nights at Freddy's」と言うのだけれどね。 

store.steampowered.com

  海外のホラーゲームなのだけれど、これがまたバックストーリーがとんでもなく濃ゆいのである。
 海外の人は勿論、日本でも沢山の人が考察をしているのだけれど、これと言った正解は一切出ていない。
 表面だけを見ればきぐるみが襲ってくるだけのホラーゲームなのだけれど、その後ろのストーリーは底が知れない。ある種のミステリー作品と思ってもいいと思う。私はそう言う全体像が掴めない所に魅力を感じているよ。このゲームのグッズに既に15万以上つぎ込んでしまった。ボーナスの半分以上を消し飛ばしてしまった。
 でも本当に面白いから、いつか機会があれば検索してみて欲しい。

 

 そう言えばタッキー&翼が活動休止したね。
 今ニュースを見てたらそんな話題が流れてきたので、特に意味もないけど書いてみました。

 

 おしまい。