カムシャフトの棺

他愛ない文学的な、交換日記です。

011.今年の13月に向けて(mee)

 *時が過ぎてしまったせいで、一部、風味が落ちているところがございますが、それもまたひとつの味わい深さだと思って読んで下さると嬉しいです。

 

 

 

お手紙をどうもありがとう。手紙を読むのがなにより好きです。きみの手紙は、いつもとても生暖かく感じます。体温が伝わってきます。読んでいて面白いしね。

 

『何も作らずぼんやり』していた……? そんなことはないでしょうと思うけれど、まあ、自分が、息をする以外にはなにもしていないような気がする、という無気力感、無能感みたいなものには心当たりがあります。わたしもさあ、最近は編集作業とか宣伝の画像作りとかしていたので、あんまり何かを”書いて”はいなくて、すこしうずうずしてきています。とはいえ本をほおっておくわけにもいかないし、暫くはこの紙面に根気強く付き合い続けるつもりです。わたしの唯一の美徳は、じつは根気強さだと思っているので。

 

これは全然きみの話でもわたしの話でもないんだけれど、誰かがずっと先に行ってしまったような気がして、とても寂しくなるようなことがあります。でもそれは誰かがこの場を去ってしまった寂しさではなくて、わたしが一つも進めていないということの寂しさです。でも「進む」ってなんだろう、そもそもわたしは少しだって前進したことがあったんだろうか、とかさ、そういうことを考えていたらだんだん分からなくなっちゃって、ついにとある小説の登場人物の名前に「進」とつけてしまいました。彼に代わりに考えてもらおうかと思って。

 

そうだ! Polarisと一白界談、受け取ってくれてありがとう。Polaris読んでもらえたようで嬉しいです。きみにとって、いわゆる《地雷ジャンル》になるのかもしれませんが、勇気を出して本を開いてくれたこと、とても嬉しく思います。

 

次はね、猟奇殺人と猟奇探偵と、そしてその被害者の話を書こうかと思っていたんだけれど、冬が来てしまったせいで、なんだか暖かい話を書きたくなってしまったので、マルム学院シリーズをすこし進めようかと思っています。クロマノールという子と、アーチピタという子とが、ささやかながら世界に立ち向かう話です。その過程で、『世界』というものそのものが一体なんなのか分からなくなってしまえばいいと思っている。たとえば彼らは圧迫を感じているんだけれど、それが悪意によるものなのか無知によるものなのか分からない。世界には悪意によって起こされる悲劇よりも無為や無意識や無知によって引き起こされる惨事のほうがずっと多いと分かっています。だから例えば、彼らが感じている圧迫はこういう類のものです。誰かが荷詰めをしている。明日旅行に行く少女だ。彼女はどうしてもぬいぐるみを二つトランクに入れたい。一つなら入るけれども、もう一つを入れるとトランクがあふれてしまう。だから彼女はぎゅっぎゅと何度もトランクを押す。小さな身体で上に乗って体重をかける。ぬいぐるみは少女の想いを受け取ったみたいにすぽんと音をたててしぼんで、ちゃんと鞄のなかにおさまってくれる。その、鞄の、下層に、少女のこともぬいぐるみのことも知らずに、存在しているのがこの二人なんだ。抑圧を受けているのがこの二人なんだ。

 

きみは全然嬉しくもないだろうけれど、わたしがこういう友情の話を書けるのは、きみのような友人がいるからこそだ、という気がしています。

 

 

 

そういえば、アドベントカレンダーへのご参加ありがとう。きみと一緒に創作的ななにごとかの取り組みができるということ、とても嬉しいです。昔は動画を作ったりゲームを作ったり、結構一緒に色々したよね。またなにか一緒にできると良いんだけど。

わたしはきみと違ってそんなに多芸なほうでもないから、(絵も描けないし、演劇部に所属するなんて考えられなかったし、動画や音楽やゲームにもなかなか本格的には手を出そうと思えなかったし)、でも、作ることはやっぱり好きです。もうやめてしまおうと思うことばかりだし、実際あと数年以内にはやめると思うんだけれど、まだもう少しだけ小説を書いたりしていようと思います。最近は小説をやめるための準備として、絵も描き始めたしね。なにかを意図的に諦めるというのはそれなりに決断力のいることで、そういう力を自分がまだ持っているということに少し安堵しています。きみは永遠に作り続けていられますように。

 

さて、そういえばDMでもまた依頼させていただきたいと思うんだけれど、マルム学院シリーズの「十人の英雄」(の、うち八人)の設定を考えていただけないでしょうか。世界を救う人たちです。さっきの、ぬいぐるみを二つ入れたいトランクの例えを思い出してみてほしいんだけれど、この十人が、ぬいぐるみの腹を裂き、トランクを開けてしまうんです。世界を真っ暗闇から解放してしまうんです。パンドラの箱みたいに、希望が残っていてくれるといいんだけど、どうかな。世界には希望がたしかにあるけど、かきあつめても一つにならないぐらいに細かい欠片になって散らばっているような気がする。なんておもうのは悲観主義でしょうか。

 

2020年は小説をよく書いた年だった。Polarisと一白界談とアドベントカレンダーのおかげで、とりあえず前進する力というのを身に着けることができました。あと、自分にはたいした物語は書けないんだということも知ることができた。決して誤解しないでください、これは弱音を吐いているのでも、卑屈になっているのでもなくて、自分の成長を喜んでいるんです。ただしい自己認識ができたと思う。最初から傑作を生みだせるわけがないんだと、ようやく分かりました。でも2019年までのわたしは、できうる限りすべての作品を傑作として仕上げてやりたいと思っていました。そういう棘が取れて、小説に対して、もっとやさしく向き合うことができるようになりました。言葉に対して、ただしく真摯に向き合うことができるようになりました。だから、本当に遅くなってしまったんだけど、ここから、今の自分にできる一番うまいやりかたで、一番うまく小説を書きたいと思っています。うまく書く、ってどういうことなんだろう。わたしが、自分自身に納得し続けていられるように、作品の力を高めること。そのゴール感を作品自身とも合意しながら進めていけるように、文字を連ねていくということです。

 

 

この手紙、あんまりうまく書けなかった気がするな。もし紙に書いていたら、いつも通り、投函せずに抽斗の奥にしまって1年後に捨ててしまっただろうけれど、これはブログなのでこのまま公開することにします。手紙を郵便に出すよりも、ウェブに公開するほうが気楽にできるなんて不思議だよね。全世界に見られちゃうのに。

 

 今回の弔いの文章はこれです。

 

 裂けた皮ばかり剥き出しになって、とうてい女性の指には見えなくなってしまった小指を、ひとり、眺めていた。

 痛いというほどではないけどひりつくような、すこしぴりりとした快感を伴う赤い傷口。もう少し、ほんの少しだけでも、このでこぼこになってしまった皮の隙間に爪を立てれば、きっと出血する。

 赤い血液をなんだか見てみたい。でも、お風呂にはいったときいつも後悔するんだよなあ。染みる痛みは水に叱られているようで、みじめでかなしい。

 気を取り直してキーボードに向かってみると、「A」を打つ時にだけじんじんと小指が痛む。当たり前のことだけど、「A」って母音だから、よく出てくるんだよね。そもそも実は、母音のうち三割近くの使用率は「A」が占めてるの。五つしかないたいせつな音に偏りがあるなんてふしぎ。日本語は「い」と「お」、それから「か」「し」「の」が一番よく使われているんだって。だから「か」「お」「り」という私の名前は、このたった三音だけで、この国の言葉の八パーセント以上の表音を占めるの。ひらがなって四十八文字もあるのに、これもふしぎ。

 ああ、指がいたい。「A」ってやっぱりよく使う。「ありがとうございます」とか「ご挨拶させていただきたく」とか、一生で一番打つんじゃないかって思う「お疲れ様です」にも三回出てくるし、あとは「愛」とか。

「かおり、あいしてるって言うとき、あなたは日本語の四分の一を話しているようなものなのよ。『か』と『お』と『て』だけでも、それぞれ三パーセント以上使われてる音なんだもの」

 と私が言ったとき、彼は、感情のなさそうな瞳を少しだけ揺らめかせて、苦笑を意図的に穏やかな顔面に浮かべ、礼儀正しく首を振った。相手を静かに拒絶することしか教えてもらえなかった子供のように見えて、私は彼を哀れむ。

「ねえ、自分の名前に使われている音が、どれぐらい日本で使われているのかって、調べたことないの?」

「ない。そんなの調べる人がいるんだなあ、って感じかな」

「気にならない? お父さんに聞いたことは?」

「気にならないし、聞いたこともない。どうしてそんなことを思いついたの?」

「どうして、って。誰だって思いつくと思ってた」

「他にはどんなことを?」

「そうねたとえば」

 たとえば、世界にはひらがなカタカナ漢字ハングル文字アルファベットにルーン文字と、全て数えたらいくつの文字があるのか。日本のように複数の文字を混合させて文章にできる国はいくつ。漢字と平仮名どちらでも表記できるもののなかで、ちょうど確率が50:50になる単語はあるか。『あ』の左と真ん中にある空白について、どっちを大きく書く人が多いのか。とか?

「考えたことない?」

「ない、ない」

 彼は最初笑いを堪えるように困った顔をしていたけれど、やがて耐え切れないという風にくすくすと声を上げた。私の勝ちだ、と思った。

「ああ、面白い。自分の喋る言葉の音に偏りがあるなんて、考えたこともなかったなあ」

「よく使う音と、あまり使わない音があるの。どの言語でもそうなのよ」

「確かに言われてみれば、発音しやすい音としにくい音があるもんな。で、言ってほしいんだっけ」

「なにを?」

すっかり話の初端を忘れていた私は、首を傾けた。彼はすっかり大人の顔で、音のことなんてひとつも気にせずに、その言葉を口にする。

 

「かおり、あいしてるって」

 

 その言葉が、同時に触れられた小指にひりついて、二年経ったいまでも逃れない。彼に別れを告げられてから、すでに二週間の経ったゴールデンウィークの手前、私の趣味は小指の皮剥きになっていた。

 

 

読んでくれてどうもありがとう。お返事楽しみに、のんびりと、お待ちしております。